もんく [とある南端港街の住人になった人]

パワーポイントは大人の道具

大人ってのはパワーポイントを使ってかっこよくプレゼンテーションすることができる人だと思う。日本でもマレーシアでも同じらしくて、よくパワーポイントのファイルをかっこよく作っている人がいる。

もちろんテンプレートが用意されていて誰でもある程度はできるらしいけれども、未だになぜあんなものを使わなくてはならないのかな?、と心の底の方で感じている。だからか、自分でそんなかっこいいファイルを作ってプレゼンテーションしてみようと思えないし、まずパワーポイントを触ろうとも思ったことがない。どうしてそんなものが作りたいのか、その感覚がよくわからない。


と言っていても、見せられる機会はけっこうある。大人の社会だからだ。

大人はそうした道具をさりげなく使って終始自分のペースでその場を取り仕切りたいものだ。実際にはやりたくなくても光栄にも機会を与えられると言うことになれば大人の一員として認められたことになるのだからやるしかない。(ように見える。)


悪いことに、これからその発表を聞きますと思って集まるとプレゼンテーションをする人のペースに、人間と言うのは合わせてしまうクセがある。聞き始めると耳も目も占領されてしまいその人の考え方から自分の思考を外に出すのは難しい。聞きながらその場で反論や疑問を作り出すのは至難の業だ。(その性質は小説を読んだり映画を見て主人公の中に入り込むには打ってつけだけれど。)

だからプレゼンテーションをしている会議などはわざと遅れて行って途中から参加する方が良かったりする。入れ込まなくて済む分、自分のペースに自分の思考を持っていけるからだ。



先日はわざとではなかったけれども20分位遅刻して参加した。案の定その場はプレゼンターの思考に占領されていた。それは部屋に入ってすぐわかった。誰もが何か言いたいのだけれど喉からもうちょっとのところで出てこないまま硬直してしまったかのようだった。

そう言う場合は遅れて参加した方が強い。後から拾われて飼われ始めた猫の方が元から飼われていた猫より一般には強いのだけれど、それとちょっと似ている。


そうして外部から人が入ってくるとツンとしてかっこつけた大人の世界は音を立てて破壊される。パワーポイントのカッコ良さは単なる地下鉄の通路に貼ってあるカッコつけた広告の紙切れになる。ビリビリビリっと引き裂いてチリになる。実際よりずっと良く見せようとする意図もそれとともに粉々になって色褪せる。

大人ってのはカッコつけて本当のことを言わない人だったんだ、と思ってしまうのである。
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