もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

心と身体の間には

「倒れた老人を助ける少年がついに出現、人びとを感動させる」などと言うニュースが出ていた。

これは中国の話で、倒れて怪我していた老人を助けて医者に連れて行き治療費まで出してから家に送った後名乗らずに立ち去った2人の学生がいたと言う美談。それはそれで良い話なのだけれど、そのニュースに対するコメントの方がすごかった。要は、日本だったらそんなのニュースにならないとか、日本なら当たり前と言うようなこと。


いやいや、日本でもそこまでしたらニュースになると思うなあ。

前にも書いたことがあるけれど、東海道線の車内で急に倒れた老人を助けようとした時に老人とは言え重くてしかも車内が狭かったので座席に座っていたたくさんの人たちに助けを求めたけれど誰も知らない振りをして助けてくれなかった覚えがある。比較的遠くにいた若い人がやっと来てくれて助かったけれども、今でもあれは何だったのだと思う。あれはまだ2年位前の話。

川崎市内だともっとすごい。バス停のベンチの下に倒れている人がいた。ズボンから半分お尻が出ていてどうみても餓死寸前かもしかしたらもう逝ってしまったかと思うような状態。あそこはいつでも人が多いのだけれど誰も気にも留めずバスを待っていたり通り過ぎていく。いくらホームレスが多いところだったとしてもあれは相当にやばい状態だと思った。

台湾で食べていたレストラン前の交差点でスクーターと車がぶつかっておばさんが倒れたままだった。居合わせた数人の日本人は誰も何もしようとしなかった。幸いにも軽傷で済んだようだったけれど、生きる死ぬと言う状態だったら助けが早いか遅いかの一瞬がその分かれ目になると言われる。もし万一そうした状態だったらどうなのだろう。



「日本人なら当たり前に助ける」と言いたいのもわからないではない。

多分、きっとそうすると思っている人は多いのだと思う。でも、その場に居合わせた時に実際にやるなか?、と思う。人間は心と身体が一つ、そして思ったとおりに身体をリアルタイムで動かせるような感じがしているけれども、実は心と身体の間には相当な距離があるのではないだろうか。

巨大な恐竜であれば尻尾に釘を刺したとして、尻尾を振って払いのけようとするまでに1.5秒もかかるそうだ。これは巨大だからだけれども、人間は小さくてももっとずっと複雑な神経構造を持っているために反応が鈍い。


巨大恐竜は繁殖期にオスがメスを求めようと思えば瞬時に反応して行動するだろう。人間の場合はその思いを心に秘めたまま一生行動に移さず死んでいってしまうなんて事もある。小説「オリンポスの果実」の主人公はまったくそんな人間だったが、それに共感するのはそうした要素を誰もが持っているからかもしれない。



政治(家)批判などは誰でも簡単にできるし、その上「こうすべきだ」とも言える。簡単だ。けれど実際にやってみる人はほとんどいない。定年したらあれとこれとそれをして悠々自適になどと言うのは日本人には珍しくないが、実際にその時期になってそれができる人は数えるほどしかいないので「人生の楽園」などと言うテレビ番組ができてしまう。だいたいの人はそれを見るだけで終わる。他人に対して「そんなことやっても意味はないよ」と言う人はいるが実際にやってみてダメさ加減を確かめることができる人もそういない。「歳を考えろ」と言う人はいるが考えずにやってみて幸せになりそうな人は石田純一しかいないかもしれない。


心と身体の間には深くて暗い川がある。
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