見出し画像

もんく [とある南端港街の住人になった人]

アップデートまだまだ有り

さいきんはみんな、スマートフォンなんかを使っていると思う。自分もiPadを使っている。使っている中で一苦労なのが、アプリのアップデート。ついでにOSまで時々アップデートがある。

こうした事態はコンピュータがネットに繋がりだしてから起きている。昔はコンピュータもCD-ROMとかに入って売られていたのでなかなかアップデートと言うのも無かった。その時代でも不具合はあったわけだけれど、アップデートってのも簡単ではなかったから、CDに入っているものは一応"完成品"だと思っていた。

そう思っているのは買った方だけかもしれないが。でも、一応完成品だった。今はネットに繋がっているのが当たり前だから供給する方も最初から"未完成"のものを送ってくるらしい。後からアップデートすれば良いやと思っているような気がする。なぜかって言うとアップデート、やたら多い。先週までに溜めに溜めて23個位あったのを近所のWifiが有る店で一気にやってしまった。が、まだその後にもう5個も出てきた。イタチゴッコとかアップデートの自転車操業とか、何て呼んだら良いのだろう?


ところで、完成品じゃないと言えば、人間だ。例えば、会社とかで仕事していると、どうしても必要なスキルが足りなかったりする。はっきりと専門性が無ければ出来ない事だったら、人間をアップデートしないでどこからか連れてくるのだけど、もっと一般的な事だとアップデートと言う選択になる。

例えば、5S(整理整頓清潔清掃躾)とかだと、多くの人に関わるからこのために交換するわけにはいかない。報告書の書き方とかもまさかそんな事のために人を交換するって事はない。プレイベーとでは自分を交換なんかできないわけだから自分自身で本を読んだり学校に通ったり通信教育とか自分自身でいろいろやってみるような事をする。そうしてちょっとづつ人間はアップデートしていく。

そう考えると人間だってアップデートのネタに関しては切が無い。動物なんかはオテとかオスワリとかオシッコする場所とかのトレーニングがたぶん最後だろう。あまりアップデートはしなくて済む。

そうして、人間てのはいったい何時、完成品になるって言うのだろう。自分で勝手に完成、と思ったところでまだまだ先はあって、周りを見渡しても自分より何かが出来る人なんてたくさんいるし、何かやりたいと思うだけで見本が無くてもその時点で未完成と認識せざるを得ない。

昔の言葉で四十にして何とか、五十にして何とかとか(論語)あったけれど、これって人間は生きているうちはずっとアップデートがあるって意味だったのかな?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「マレーシアでニャー」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事