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もんく [とある南端港街の住人になった人]

人は死ぬ前に何を考える?そしてそれを誰かに伝えておきたいものか?

2台ある中華真空管プリアンプには不満を感じてはいないが、LXA-OT3にNintendoのACアダプタを与えてまあまあだったのでプリアンプにも1つ買ってみた。ジャンクで100円の12V仕様だ。もう一つ買いたかったが1個しかなかった。

とりあえず近いうちにプラグを交換する。

しかし、普通はパワーアンプよりプリアンプの方が音質に影響するとされているが、中華真空管プリアンプに不満を感じないのはなぜだろう?真空管アンプと言っても昔のそれと違って途中にトランスが入っているわけでもないだろうに。というか、実態はオペアンプが主役かもしれないが。なのでACアダプタを換えてもわからない可能性もある。それならそれで構わない。100円だし。




活断層ハウスで作業をしながら、時々亡き両親のことを考える。あの人たちは何を思って死んでいったのだろうか?と。考えてもほとんど何もヒントが無い。家と家財道具その他が残されているだけだ。

ある種の人たちは死んだ後に名を残す。名を残さなくてもその意思が継がれることもあるだろう。けれど、自分は我が両親のようなただ生きて死ぬだけの人間は死んで終わりだ。街を歩いていてふっと見ると空き地があって、ここには以前何かが建っていたはずだと思い返してみても思い出せない。それと同じ程度だ。

けれどきっと何かを思ったり考えたりしただろう。それを誰かに伝えたかったかもしれない。それとも伝える必要性を感じなかっただろうか?思い残すことがあった?無かった?死ぬのは怖かった?そうでもなかった?


考えてみれば、人は必ず死ぬものだし、歴史の中で死んだ人は数え切れないほどいるのに我々は死に直面した人がどうであるかについてほとんど何も知らない。それほど興味が無いからか、死を見ている側が恐れを感じてしまっているからか?

ところで、皆さんは何か言い残すつもり?
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