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もんく [とある南端港街の住人になった人]

「大人になれよ」ってのは言ってる本人がオヤジ化してるって意味

年に二度の地域の清掃活動に参加。


今回は参加人数が少なかった。平日であるし雨の後でもあり、そして近所で不幸もあってそちらに参加する人もいたのだろう。仕方ないことだ。

どの地域でもこうした活動はあると思う。あの活断層ハウスの地区でもドブさらいは住民が集まってやっていた。今もあるかは知らないが、知らせが来てあそこにいたら参加しよう。ところで、こうした活動への参加者はどんどん減っていると思われる。自分が子供のころ、つまり大昔でさえ参加したくない人は多かった。不公平になるというので出ない人は少額のお金を支払う制度すらあったほど。

ずっと以前であれば農漁業を主体としてやっていた名残りで地縁は大切と思われていた。だから地域活動は大切だったし、活動そのものに加えてその場で人と人との結び付きを深めるという役割もあった。けれど多くの人がその土地には住んでいるだけで収入の源泉は全く別にある時代になると大事なものではなくなった。代わりに税金を払うという義務さえ果たせば十分という意識になっていた。家の外部の路地も道もただそこを通る機能しか不要になった。

けれど、それで成り立つか?と問うた時に、実はそうでもないことがけっこうある。家の前のちょっとした道に穴ができてしまったとか、子供が安全に遊べるか通学できるかもそうだし、高齢者だけの家でゴミ捨てができるかみたいなこと。いろいろあるが、行政が税金を使ってやれることもやれないこともある。そしてやれないことは今後どんどん増えていくだろう。

そういう社会に住んでいて、自分は今まで通り、仕事だけしていればそれで良いのか?税金さえ払っていれば他に社会のために何もする必要がないのか?このやり方でこの地域や国はどこまで持つのだろうか?



今朝、iPad miniを買った。明日来る予定になっている。




先日、ある記事で(元記事はここでは載せない)、氷河期世代に対してその下の世代から「大人になれよ」的な意見が出始めているというのがあった。意味としては「いつまで被害者面しているのだ」「責任ある態度、行動をしろ」というようなものだそうだ。逆にそれを言う若い世代はある程度きちんと就職するなどで仕事をしていてそれなりの責任ある立場を占めているとか。

この「大人になれよ」というところ、ちょっと気になる。自分は氷河期より上のラッキーな世代だから責任ある行動、立場というようなのはよくわかる。社会的にちゃんとやっている。他人に頼らずに生計をたてられる。ということだが・・・

逆に、それが「大人のやり方」なのか?という疑問は大きい。

大人というのは、社会や組織の中で誰にも文句言われることなく生きていけるということであるが、単に既存のシステムやら何やらを利用しているだけ、利用させてもらっているだけ、おとなしくそこに収まっているだけとも言える。だいたいにおいて社会や会社で上手くやっているというのはそんなくだらないことでしかない。

大人になれ・・・だって? へへへっ!

若いのにジジイの作ったタライの中で他人より多少上手く泳いでいるって、それはどんな自慢なんだい? いつも言っているが、そんなことしていると若いくせにオヤジに再生産されるってわけじゃないのかい?
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