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もんく [とある南端港街の住人になった人]

個人の特定に番号を使うというレガシー

数日書かずに寝てしまいました。今日から再開。


多くの方がマイナンバーやマイナンバーカードについて否定的だそうだ。自分は特に否定的には考えていない。どっちかというとその運用の方に否定的だ。というのは、その実態が実にフワフワとしてものになっていて中途半端だから。

まず、マイナンバーというのが割当てされるが、これは一応個人に紐付けられている事になっている。ただ、番号は背中に入れ墨されるわけではないから実際のところ番号と人物は個別に存在してしまう事になる。そこでマイナンバーカードが必要になるが、マイナンバーカードを作らないという選択肢があるのは置いておくとしても、カードというハードウェアを常時身に付けている事のみが個人特定に必要で、その表にある顔写真とパスコードを覚えている事でやっと機能する。そうなると、もしカードを家に置いてきてしまったとした時、無くした時、どこに入れておいたかわからなくなった時には機能しない。

何が言いたいかというと、人、番号、カードといろいろ取り揃えても、どれをとっても個人の特定や個人の存在確認は不確実だし、それどころかかえって曖昧になってしまう。

感覚としてはクレジットカードと同じだ。あれは個人が契約しているはずだが、そこにはユニークな番号があって、カードというハードウェアがある。それは1950年代に発明されたものだ。今はクレジットカードにICチップが入っているから悪用されにくいと言うが、実際には悪用されまくっている。理由はもちろん番号、カードという物、契約した人の3つがいつでも一体になって行動などしていないからだ。

ついでに言うと、携帯電話も全く同じでレガシー方式だ。もし誰かに電話したいとする。パネルから番号をプッシュしてかける。さて、あなたは誰に電話しているのでしょうか? 当たり前な答えとしてはかけた番号を持つ携帯電話の所有者という事になりが、実態はその番号を割り振られた携帯電話だ。話したい相手とはいえない。



というわけで、マイナンバーも1950年代に発明されたクレジットカードや19世紀に発明された電話と同じアイデアを基にしてできている、21世紀にもなって。番号など使わずに個人を特定できる方法はあるはずなのに、いつまでやっているのだろうか?
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