ある宗教の機関紙がポストに入っていた。カルト教団ではなくて古くから認知されている仏教系の宗教だった。別に興味があるわけではないが一応読んでみる。
書かれている文章は読み難いが要旨としては2つ。1つは、世界は危機に瀕しているが、それを救うには国を挙げてその教祖たる人物に帰依する必要がある。だから皆さんに宣伝して回らないといけない。2つ目は、人の幸福について。真の幸福は生きている時と死んでからと両方幸福である事で、死後は見えないが生前に教えを信じていれば死ぬ瞬間に違いがわかる。幸せなら顔が白くなり身体は軽く、そうでない人は黒く石のように重くなる。
これに対してそんなバカな、という気はない。どの宗教も、いや、宗教そのものがそもそも論理的に説明がつくものではないし、科学的に理に叶うものではないからそれはそれで良いと考える。信じない人に関係ないだけで、それが間違いと指摘する事に意味があるとは思えないから。
ただ、どの宗教を信じている人々は大概善良だと感じる。この宗教の人も押し付けがましくなく、このお金のかかっていそうな紙を惜しげもなく配ってくれて、そしてこの国の危機とそれを乗り切る方法を彼らなりに伝えてくれたのだから。
国に危機が訪れるのを心配している人々がいる一方で、なぜか何も心配しないで何もしないを選択する人もいて、コントラストがまた興味深い。
ある議員さんがSNS内で、選択的夫婦別姓を支持しないと発言していた。理由は1)「困ってない」とか、2)同姓の方が一体感があり、3)日本の戸籍制度を守らなければならないからだそうだ。1は感情的な反応だろう、3は1から来るもので特に理由など無さそう。
2なのだが、ちょっとどうかと考える。そもそも戸籍は夫婦と未婚の子を単位として一つを定めている。これが人の出自を明確化するのはわかるが、結婚すると親の戸籍から独立して別々になってしまう事を考えると伝統的な家族制度にはそぐわないはずだ。つまり一体感を切って核家族化を促進しているものともとれる。
一体感を言うのであれば、国が国民に提供してる教育はそもそも親から子を引き剥がす為のものなのでそちらについて一体感を継続させる為の改善をしなければおかしい。教育は親と違う職業を子が自由に選択できるようにするもの。親が代々引き継がれた老舗を経営していても子が学者になれるようにバックアップを提供している。感情的な一体感とは別の事だけれども、物理的、思考的に離れてしまえば必然的に一体感は薄くなるはず。一体感が必要と考えるならこうした問題も解決すべきだろうが、たぶんそんな気はないだろう。
自分に関して言えば、家族に別離の機会を与えてくれるこうした制度は良いと感じている。親の思いと離れたところで一人本を読み、全く違う事を考えて、結局全く違う場所に行って住んでと、素晴らしい事だ。できる事なら、小学生あたりで経済的にも別々になっていて欲しかった。教育費が大学あたりまで完全無料で、卒業までベーシックインカムだったりしたらこんなに自分自身を否定的に感じ続けなくて済んだかもしれない。
一体感とか言う人は親が良かったのだろうか?