見出し画像

もんく [とある南端港街の住人になった人]

写真と自分の距離


こうして毎日家の近くの写真を撮っているが、後で撮った写真を見るとまるでそこがこの日本ではないような感じがする事がある。もちろん自分で撮っているのだからそれがどの場所かは知っているし、どんなふうに感じてそれを撮ったかもわかっている。

それにしても、家に帰ってきて撮った写真を見ると、それはもう既にどこか違っていて自分とのいくらかの距離を持つものになっている。なっている、と感じる。そして思い出すのはどこか別の国で見た風景や旅行のガイドブックに載っていた何かを象徴する風景だったりする。

まったく、おかしなものだ。

モディリアニの絵を見て考えた。あの絵はもちろん写実ではないから実際のモデルさんの印象を残してはいるだろうが違う。あんな人間がいるわけがない。人間の端面に線など無いのだし、あんな単純な面だけで人は構成されていない。あれは果たして人というものを描いているのか? 人ではないにせよ、人の形状の持つある要素なのか? それとも人モチーフにしてはいるが、単なる形を描いているのか?

モディリアニは描いた後に作品と自分との距離を描いた時と同じに保つ事ができたのだろうか?

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日本でニャー2022」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事