もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「SOLARIS」 -心の旅

犯した罪、罪は法律で裁かれる罪ではなくて自己の心に刻まれた罪のことであるが、その罪は時間とともに心の奥底で合理化、無視されるなどして本当の罪の形とは異なるものになっていってしまう。こころの底の堆積物となって化石のようにそこにあるだけのものになってしまうだろう。

その罪を何者かに掘り起こされたとしたら...
ああ、とんでもない事だ。

現実世界で実際に見て感じた物、や人、それらが本当にその実態を表すものであったかどうか。あの人はこうである、と思ったのは自分が勝手にそう決め付けていた幻影ではなかったか。実際のその人の本当の姿であっただろうか。それは他人ばかりでなく、自分に対しても同じだ。

人間は現実に対象の実態を見ていてもそれを曲解する。その身勝手さはすなわち罪である。罪を犯したら贖罪せねばならぬ。その罪に正面から相対して認めるところから始めるべきなのである。





私達は意識せずとも身勝手で、罪を犯していてもそれを認めることはほとんどありません。それがまた罪の元になるのだと思います。自分が間違っているかもしれない、見方が間違っているかもしれないと、時には考えてみるべきなのかも知れません。

(結果:ソラリスに惑わされてみましょう)


ソラリスに頭蓋骨の隙間から脳みその中身を覗かれているような気持ち悪さがあります。そのうちソラリスを通して自分自身の脳みそを見ているようで不思議な気持ちになる映画でした。

この映画は「惑星ソラリス」と言う古い映画のリメイクだそうです。私は元の映画も原作も知りませんでした。そのうち「惑星ソラリス」も見てみたい思います。

コメント一覧

orang-u
コメントに感謝
神主様

映画って面白いですよね。映像を通して誰かが何かに答えを出そうとしている。それを見ている方は自分の答えを探す。映画は私達のソラリスとして心の中を覗いているように思えます。残酷な映画、とても良いものですね。
神主(森)
有難うございます。
http://hinokuma.blog.ocn.ne.jp/weblog/2005/12/post_147a.html#comment-2352040
TBならびにコメントをいただき有難うございます。

ひとの触れられたくない過去を映し出すソラリスの幻影はとても残酷ですよね。こころの過ちをどう晴らすかというのがこの映画のテーマなのでしょう。orang-uさんの記事を読みそう、思いました。

「青い門」の記事もとても興味深く拝見しました。

視点移動という考えに納得!偏に自分のなかで消化不良を起していた映画だったので、スッキリしました。

ありがとうございます。それにしてもヒドイタイトルですね~「悪い男」がヒットしたからなのでしょうか。
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