またも母(86)の事になるが、考える範囲というか、考える時の視点のようなものが極度に限られているように感じられる。思考の視野狭窄と言って良いかも知れない。
これは単に老化というよりは積年の癖という要素が大きい気がする。母は記憶にある限り本を読まないし、仕事等で何かを客観視する訓練も無い。それ故、自分と離れた別のポイントから自分や自分の周辺を見てみるという事ができないのだと想像できる。
そうすると、思考の視点は常に自分にあって別の見方がある事自体を想像できないのではないだろうか? そうなれば視点は常に自分に固定されるし、自分の感情にのみ左右されるだろう。
こうした事は母に限らないと思われる。特に身体のどこかが痛いような状況ではそうなりがちなのかもしれない。痛みは常に自分の身体に貼り付けているのだから。
自分がこう思う、考える事を客観視して、それは何故かと問うたり、それ以外の答えを探してみたりというような事は自動的に思考してしまう人間には難しいだろう。