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もんく [とある南端港街の住人になった人]

神の必要性

先日、宗教団体の教祖様について書いたら寂れたブログにしては珍しくアクセス数が上昇していたらしい。皆、変わった事に興味があるものだな。

信じている人にはちょっと失礼に聞こえてしまうかもしれないが、自分に関してはこの歳になっても宗教の必要性をほとんど感じた事がない。それは自分の人生がそれほど悪くなかったという、つまりどん底を感じる人々からすればラッキーだったからなのかもしれない。とは言え、自分は宗教や神様を信じていることやそうした人たちを否定はしない。自分の体験がたまたまそうだっただけで他の人たちについて何も言うことはできないと考えているからだ。神や宗教を必要としないのは特殊例に過ぎない可能性があるということだ。

ところで、宗教を必要と感じない事に関してだけれども、神が存在するとした時に神に向かって何かを願うというのは普通に行われている。自分の感覚では神に願うということと、○○がこうなったら良いのにと思うのは変わらない。神に願う場合は仮想の相手がいて、自分の場合にはそれがいないだけのような気がする。相手がはっきりしていた方が願いが叶いそうな気がするが、気がするだけのような気もする。片側からしか知らないのでこれはよくわからない。断言はできない。

それで、人生はもう少し続きそうな今感じているのは、もしこのままで終わりまで行くとしたらやはり宗教や神が必要そうな気がしないということ。死んだ後に現世の報いで地獄に落ちると誰かに言われてもそれを重大な事とは思えないし、その手間で何か大きな苦しみに陥る不安というのも無い。だけれども悲しみは予測できる。それはあるだろう。でも、だからといってそれを誰か、つまり神を含む他人にどうこうして欲しいとは思わない。誰にもある事だから。そうなるとあの世での平穏や現世での安心のために神の怒りを買わない行動を心がけるような必要性があるとも思えない。

人は誰かにああせよ、こうせよと指示されなければならないものだろうか?
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