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もんく [とある南端港街の住人になった人]

考えるという事について

考えるという事に関してものすごく誤解している人が多いのに驚く。

昨日のFBでの友人との会話で、彼は(新しいビジネスのネタを考えるような)発想は変人的な人が出すか、非常識な考え方のようなところから産まれると考えていた。

出てきたものだけ見るとそう感じてしまうの分からないではないが、もしそうならこの世界を駆動している人たちは変人ばかりで、変人が経済の動きを独占的に支配しているという事になる。実際そうだろうか? まさか。

でもまあ、よく考えてみると変人にそうした役割を押し付けたいのは自分には無理だと諦めているに過ぎないのだとわかる。なぜならほとんどの人は自ら何も始める事が無いわけだから。ほんのちょっとした事でも。


ということがあって、今朝、いつものように家の掃除をしていたのだが、これもいつものようにキャサリンさんが大きな声でいろいろな事に不満を言っていた。ああ〜、短時間掃除している時は大事なのだが、と思いつつどうにもならず。

大事という意味は、そう、考えるという事だ。手を動かすような軽い運動をしていると頭のロックがカチンと外れて頭の中が比較的自由に動き出す。これは散歩の時なども同じだ。何かについてちょっと深く考える。その時は掃除も散歩もしていない。ある程度よく考えた後に掃除や散歩が入ると何かが動き出して時々ポンっと欲しい答えが出る。

自分はマインドフルネスも瞑想もヨガも興味は無いのでやらないが、聴いている話では同じような効果もあるらしい。だから常に何か偏った感情や思考から出る言葉で頭をいっぱいにしていると、つまりぶつぶつ言い続けていたりするとそのポイントから脳は一歩も動かなくなる。例えば仕事でミスして悔やんだり小言を言われたりしてそれが頭から離れない時には牛の反芻と同じで食べた物が腸へとは進まない。自分で何か考えているようで止まっている。そしてそれに気付けない。酷いと栄養不足でバッタリだ。そしてそれは人生の時間の壮大な無駄という事になる。頭が止まっている、というか、自分自身でサイドブレーキをかけて止まったままでいるのだから。


ちょっと最初のFBでの新しいアイデアを考えるのとは違った事を書いてしまった。(ズレているのがわかるだろうか?)

そうそう、黙って歩いたりするのと正反対の行動というのにも注意した方が良い。(こんなの世の中の常識だけれど最近誰も言わないようなのであえて) それはYoutubeなどでトークを聞く事。なぜダメかというと、人間は耳に言葉が入ってくると聞いてしまう。聞いてしまうと自分自身で頭の中に作り出さなければならないはずの言葉を他人のそれに置き換えてしまうからだ。つまり、自分自身から発する言葉(頭の中の)をブロックしてしまう。つまり、短期的にはただ興味深いで済むが、中長期的には乗っ取られる。昔はテレビを見ているとバカになると言われたが、今は喋るために喋っていて他に何の目的も無い変な商売が出てきていて、あの時代のテレビと同じかもっと悪い事になっている。

とりあえず、頭を他人の言葉で埋めようとするのは止めるべきだし、自分も他人に対してそれをすべきではない。

真面目に瞑想でも習ったら良いかもしれないな。
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