OrganFreak

ハモンドオルガンに魅せられたオッサンのブログ

偉大なジミ-・スミスの想い出

2005年06月18日 | つぶやき
 大学時代にラジオで流れていたジミ-・スミスのザ・キャットを聴き、いたく
感激した。
 名器ハモンドB-3に携われるという事で、当時ハモンドオルガンの代理店をしていたエ-ス電子工業に入社し、現在B-3オルガン専門の販売店を経営している。私の人生を変えたのがジミ-・スミスであり、彼の名曲「ザ・キャット」である。
 ジミ-・スミスの弾くあの曲さえ聴かなければ違った人生を歩んでいたと思う。実際のところ私は音楽とは無縁で音楽の通知簿はいつも2かよくても3であったし。

 そのジミ-・スミスが今年の2月、アリゾナのスコッチデ-ルの自宅で亡くなった。スコッチデ-ルには以前からジョ-イ・デフランセスコが住んでいるので彼の勧めで転居したのだと推測している
 
 毎年冬にブル-ノ-トに出演の為来日した彼の演奏を聴くのが1年の最高の楽しみであったのにとても残念で仕方がない。
 年々衰えて行くのが目に見えて解ったが、それでも他のジャズオルガニストの誰よりも格好よく、誰も真似出来ない異次元の世界にいた人だと思う。
 何故って、それまで教会の結婚式か葬式で、よくてもラジオの昼のメロドラマの伴奏楽器やスケ-トリンクのバックグランドミュ-ジックでしか使われていなかったハモンドオルガンをジャズの世界に持込み、ゴスペルとブル-ス色の強いジャズオルガンの特長を活かしたフアンキ-&ソウルジャズを確立させ、遂にはピアノと並ぶ花形鍵盤楽器にまで仕立て上げたパイオニアとしての自信と誇りが創りだすオンリ-ワンなサウンドだからではないだろうか。
 そういうことだから、ジャズオルガニストだけでなく、ロックキ-ボ-ディスト達にも大きな影響を与えた彼のスタイルだが、彼らがそう易々と同じような演奏を出来るものではないと思う。

 15回以上オルガンをレンタルし面識のある私だが会うたびに緊張し、興奮していた。
彼のサウンドチェックは10分かかるほど念入りかと思うと、即OKが出るような時もあった。ほぼ毎回不機嫌で、周りのミュ-ジシャンも王様に摂するように気をつかっていた。
 1度だけ機嫌の良いときがあり、彼がもってきたケンタッキ-・フライドチキンにタバスコを山ほどかけ、それを2人で食べながらいろんな話(と言っても英語の出来ない私には断片的にしかわからなかったが)をしたことが私にとって大事な宝物である。
 
 ジョ-イ・デフランセスコを始め有能な若手プレ-ヤ-や、長い時間をかけてやっとジミ-の呪縛から解き放たれたロニ-・スミスなどベテランのプレ-ヤ-達が、ジミ-・スミスから始まったジャズオルガンの世界を益々発展させていこうとしている。ジミ-・スミスによってオルガン人生を歩むことになった私も、プレイヤ-達とは違う側面からではあるが陰ながら協力できればと思う。
 
 天国のジミ-・スミスから「よくやっているな」とお褒めの言葉をもらえるように。