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「落語の笑い」のパラドックス

2011-11-08 04:57:48 | 落語・その他芸能一般

 

「落語の笑い」のパラドックス    
 冒頭の写真は林家三平
                                 

 落語の笑いについて考えてみた。もちろん、愚者の論だ。だからグシャグシャ。

 落語を聴く受けての側(観客)が笑うのは、「自分も同じことをする」と感じて笑う場合よりも、「登場人物の愚かさ」を笑う場合の方が圧倒的に多い

 よくある小咄に
・・・『ご覧、あの人はチョット見たところ、ボーっとしているようだけど、ああいう人がイザとなると力を発揮するのだから・・と皆で頼りにしております。
ところが、イザってぇ時になると、これが余計ボーっとしてしまいましてナ』・・・
というのがある。

 
この笑いには自分はそうではない」という観客側の確固たる自信、というよりも過信・錯覚が前提されている。

 実は、自分のことを云われているのだと感づかせないところに、落語の凄さと素晴らしさがある


 つまり落語は観客に‘貴方は愚かなのですよ’とやさしく教えてくれる装置なのだ。だからといって、演者が賢いという意味ではない。

 
皮肉なことに、人びとはわざわざ銭を払って虚仮(こけ)にされて、悦んで帰ってくる…「落語の笑い」の持つパラドキシカルな側面ではないだろうか?   
                                                         


            


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