mainichi_kotoba毎日新聞・校閲グループ
江戸時代、将軍家より嫁を迎えた大名は、屋敷の門を赤く塗ることになっていました。これが「赤門」の由来で、これをもじった赤井御門守(あかいごもんのかみ)というお殿様が登場する落語も幾つかあります。本郷にある東大の赤門も、本来は加賀・前田家の屋敷のものでした。〔百〕
赤門
東大のシンボルでもある”赤門”、ここは当時、加賀百万石、前田家の上屋敷跡。この門は御守殿の居所(奥方御殿)の表門。全部朱塗りで、黒色の金物を用い、左右に唐破風造りの両番所(裏側は彩色されていません)を設けた。
東大のシンボルでもある”赤門”、ここは当時、加賀百万石、前田家の上屋敷跡。この門は御守殿の居所(奥方御殿)の表門。全部朱塗りで、黒色の金物を用い、左右に唐破風造りの両番所(裏側は彩色されていません)を設けた。
赤井御門守(あかいごもんのかみ)は、落語に登場する架空の人物である。(大名の)御殿様であることをしめしている。石高は「12万3,456石7斗8升9合1つかみ半分」とされることが多い。三太夫と共に行動することが多いが、現代の時代劇もしくは時代劇をもとにしたコントの「殿様と家老」の原型であるという指摘がある。