蕎麦は一人前が二杯だった 1 
落語「時蕎麦」  を素材にして、昔は、蕎麦は一人前が二杯だった という問題に迫ってみた。少し長いので数回に分けて掲載する予定なので、少しずつお読みください。
問題に入る前に、落語「時蕎麦」をご存知ない方は、「時蕎麦」をクリックしてください。
1:落語「時蕎麦」の謎・冗長な台詞
謎というほど大袈裟なものではないが、昔からどうしても合点の行かないことがある。長年に渡って胸につかえたままだ。

それは、落語『時蕎麦』で、三文を誤魔化す男が勘定をする前に・・
そば屋さん、もう一杯(ぺえ)かわりといいてえんだが、じつはわきでまずいそばァ食っちゃった、おまえのを口直しにやったんだ、すまねえ、一杯でまけといてくれ
(三代目・桂 三木助)  という条(くだり)だ。この台詞は、三木助以外の噺家も同じように演ることが多いようだ。


なぜ、この余計ともいえる台詞をオッ被せるのか。これも勘定をごまかすための伏線だというのか。それもあるだろう。しかし、それだけが目的なら、噺家が雁首揃えて同じように演る必然性は低くなる。 なぜ、三木助は冗長ともいえる件の台詞を挿入するのか謎だ。
2:落語「時蕎麦の謎」・100年前の常識
調べてみて、驚いた。冗句ではないのだ。流石、三木助。要点を凝縮して云おうか。
三木助は“セコサ”を強調したのだ。あの噺を、一文だけ誤魔化したと受け取って笑うのは、現代人の常識。 そうではないのだ。もっとセコイのだ。100年前の庶民の常識は、現代とは違う。あの噺は、もっと強烈にセコイのだ。だから強烈に可笑しいのだ。そこに三木助の演出の真意があったのではないだろうか。
それについては、続編で……
高々、100年前のことも、今や全く判らなくなってしまったのだ。 

|