♪唄は世に連れ、世は唄に連れ・・終戦直後 up-to-date
(写真:岡 晴夫)
岡 晴夫で触発されて、戦後間もない頃の流行歌と世相を思い出した。あの頃は、歌謡曲という言葉は余り聞いたことがなく、専ら“流行歌”という言い方だったように思うが・・。
ポツダム宣言を受諾し、全面降伏をした後の我が国は、飢餓と大混乱の坩堝だった。日本の警察が外国人を押さえきれず、外国人強盗が頻発したことも記憶に生々しい。「パンパン」「オンリー」などという言葉が流行り、米兵の腕にぶら下がって歩く、若い日本人女性のルージュが真っ赤だったのは、子供心にも良い気持ちはしなかった。
とにかく「ひもじかった」のを覚えている。ウチノ倅どもに、「ひもじい」という意味をいくら説明しても、判ってくれない。良い世の中になったものだ。
世界中からは、戦争犯罪を裁く大合唱が起こり、『日本人』は下俯いて暮らしていた。
そんな『日本人』に少し明るい気持ちを与えてくれたのが、“オカッパル”こと岡 晴夫の『憧れのハワイ航路』だった。外国旅行など、昭和の30年代に入ってからも、外貨のない日本人には、夢のまた夢だ。まさに“憧れ”であった。
その他、『リンゴの唄』『森の水車』など明るい唄が出て、人びとの気持ちを照らしてくれた。
一方、バタヤンの『帰り船』は、復員兵を扱ったものか。哀愁漂うこの唄は、大ヒットとなった。また、軍歌として発売されたが、直ぐ発禁になった『夜のプラットホーム』(このリンクをクリックして開けたら、さらに画面左上の「夜のプラットホーム」のリンクをクリックすると、曲が流れます)が、戦後ヒットしたのも嬉しい。
想い出は尽きない・・・誰か続きを書いてください。平成17年2月21日 B
05.08.01
<A HREF=http://pet.tc/blog/bin/index.cgi?id=SB085221>面白ブログが盛りだくさん「BLOG! TOWON」</A>
(写真:岡 晴夫)
岡 晴夫で触発されて、戦後間もない頃の流行歌と世相を思い出した。あの頃は、歌謡曲という言葉は余り聞いたことがなく、専ら“流行歌”という言い方だったように思うが・・。
ポツダム宣言を受諾し、全面降伏をした後の我が国は、飢餓と大混乱の坩堝だった。日本の警察が外国人を押さえきれず、外国人強盗が頻発したことも記憶に生々しい。「パンパン」「オンリー」などという言葉が流行り、米兵の腕にぶら下がって歩く、若い日本人女性のルージュが真っ赤だったのは、子供心にも良い気持ちはしなかった。
とにかく「ひもじかった」のを覚えている。ウチノ倅どもに、「ひもじい」という意味をいくら説明しても、判ってくれない。良い世の中になったものだ。
世界中からは、戦争犯罪を裁く大合唱が起こり、『日本人』は下俯いて暮らしていた。
そんな『日本人』に少し明るい気持ちを与えてくれたのが、“オカッパル”こと岡 晴夫の『憧れのハワイ航路』だった。外国旅行など、昭和の30年代に入ってからも、外貨のない日本人には、夢のまた夢だ。まさに“憧れ”であった。
その他、『リンゴの唄』『森の水車』など明るい唄が出て、人びとの気持ちを照らしてくれた。
一方、バタヤンの『帰り船』は、復員兵を扱ったものか。哀愁漂うこの唄は、大ヒットとなった。また、軍歌として発売されたが、直ぐ発禁になった『夜のプラットホーム』(このリンクをクリックして開けたら、さらに画面左上の「夜のプラットホーム」のリンクをクリックすると、曲が流れます)が、戦後ヒットしたのも嬉しい。
想い出は尽きない・・・誰か続きを書いてください。平成17年2月21日 B
05.08.01
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