落語『たがや』のその後は?
写真㊤:隅田川花火大会(台東区ホームページ)
昨夜(29日)は、両国・隅田川花火大会(墨田区ホームページ)だった。
(隅田川花火大会)
こんなことを考え出すと、落語もサッパリ面白くなくなってしまうという典型的なお話。
落語「たがや」については、下記の(★参考)落語「たがや」の舞台を歩く を参照。
(両国橋の混雑)
落語『たがや』では、「たが屋は侍の首を刎ねた後、いったいどうなったのだろうか?」
少なくとも人を三人も斬ったのだから、只では済むまい。しかも三人のうちの二人は小者あるいは中間だが、一人は歴とした武士である。
どう考えても、たが屋は厳罰に処されただろう。多分、処刑されたことだろう。年老いて身体の不自由なたが屋の母親は、誰が面倒を看るようになったのだろうか。
やはり、何度見ても、このドラマはありえない感じがする。こんな最中に馬に乗ったさむらいが来るわけないし、またたがやが道具箱をかついで通ろうとするわけがない。
(混雑する群衆の中を、騎乗で強引に通ろうとする武士)
この噺は、最初に落ちの「たがやー!」の‘下げ’があって、後からそれなりに納得できそうなストーリーを作り上げていったのではないか。先ず“下げありき”か…そんな気がしてならない。
こだわるわけではないが、この「たが屋の処分」を考え出すと、実にややこしい。
というのは、近代法ならスッキリ処理でき、全く問題ないが、当時は幕藩体制の真っ只中である。身分秩序を最優先する封建制の法体系下にある。
所謂「支配違い」の話になってしまうから、何とも面倒だ。どういうことかというと・・・
① 事件が起きたのは両国橋の上だから、これは江戸府内の事件だ。従って代官・郡代の管轄ではなくなる。
② また僧侶や寺社も絡んでいないから、寺社奉行は出てこない。すると・・
③ 管轄は侍が幕臣ならば組頭・支配になる。
④ この侍が陪臣つまり諸藩の藩士ならば藩の法や裁きに従うことになり、原則として幕府の法は適用されない。
⑤ しかし藩邸の外の事件だから、この特権は奪われ、やはり幕府の法の適用になる。
⑥ 一方、たが屋は町人だから、町方(まちかた)つまり奉行所の管轄になる可能性もある。
⑦ しかし被害者である侍が幕臣だとしたら、奉行所は手も足も出せない。直参・旗本の場合は、属する組の頭ないしは支配が乗り出すことになるが、肝心の侍は最早死んでしまっている。そうなるとやはり加害者が町人だから、奉行所が担当することになるのだろうか?
⑧ 実際のところは、最終的には屁理屈を付けて、奉行所が処理させられることになるような気がする。当時でも、役所のたらい回しは常のことであった。ましてこのようなややこしい事案は、お互いに押しつけ合ったようだ。
どっちみち、たが屋の幸せは薄い。これは武士が、たが屋を斬っていた場合でも同じだ。その場合、武士にも厳罰が下りていたと思う。
恐らく、旗本・ご家人といった直参でも、下手をすればその身は切腹・お家は断絶となる可能性が捨てきれない。当時でも無礼討ちなど滅多にできなかったそうだ。
(★参考)
落語「たがや」の舞台を歩く
春風亭小朝の噺、「たがや」によると。
両国橋の上は花火見物の人でいっぱい。そこへ本所の方から馬上ゆたかに塗り笠の侍。供の侍二人と槍持ちが一人で、花火見物承知で無粋にも橋を渡り始めた。
反対の両国広小路の方からやって来た”たが屋”さん。道具箱と青竹の”たが”を丸めて担いでいたが、人々に押されながら橋の中央まで来たがたまらず落としてしまうと、青竹のたががスルスルと伸びて馬上の殿様の陣笠を跳ね飛ばしてしまう。
笠は川の中に落ちて、陣笠の中の土瓶敷きの様なものが残って、鼻から血を出しているので、回りの者が「ケポッ」と笑ったので、殿様カンカンに怒った。「無礼者なおれ!。屋敷に来い!」、「お屋敷に行ったら首が無いので、親に免じて許して欲しい。」。何度も謝って許しを請うが「ならん!」の一言。
たが屋さん‘けつ’をまくって、殿様に粋のいい啖呵で毒づく。殿様、我慢が出来ず、供侍に「切り捨て~ぃ」。 ガサガサの赤鰯(サビだらけの刀)で斬りつけるが喧嘩慣れしたたが屋さんに、反対に切り捨ててしまう。次の侍は出来るが、これもたが屋が幸いにも切り捨ててしまう。
殿様槍をしごいて、たが屋に向かうが、せんだんを切り落とされ、たが屋の踏み込むのが早く、殿様の首を「スパッ」。
中天高く上がった首に花火見物の人々が「たがや~」。
06.07.30
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