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蕎麦と甘味処

2012-01-06 04:08:13 | 旅・鉄道・グルメ…

 

蕎麦と甘味処   

 蕎麦は主として、江戸時代には甘味処が甘味類や饂飩などと一緒に売っていた。大坂などでも、事情は同じらしい。
 外回りの夜鷹蕎麦屋なども、素麺を併売していたとあるから、おそらく饂飩も売っていたのではないか。

 蕎麦の歴史を読むと、そう書いてある。つまり「おやつ」だったんだ。蕎麦だけに、歴史を“ひもとく”と判る。しかしパンツを紐解くと、ずり落ちてしまうから、ご用心。

 「俺ぁ、蕎麦以外の物を商っている蕎麦屋は、どうも感心しねえ」などと通ぶる仁(じん)がいるが、蕎麦の歴史を無視するのも甚だしい。甘味と蕎麦・饂飩は切っても切れない関係にあったのだ。 

                                                                                                             
                                   浅草橋の「あさだ」

 良い例がある。浅草橋のあさだという蕎麦屋は、安政元年(1854)創業だ。
 ご亭主(女将)の話によれば、江戸時代に先祖が山梨から江戸へ出てきて、蔵前で「甘味処」を営んでいたらしい
 蔵前のその場所は、(江戸通りが蔵前橋通りと交叉する地点の少し浅草橋よりに)ポリボックスがある辺りらしい。それが安政元年に、曾祖父が現在の場所に移り、蕎麦屋を始めたとのこと。なぜ蕎麦屋に転身したかは判らないとの話だった。

         

                       蕎麦の‘からすみ’あえ

 これはご亭主すら、今や先祖の歴史を正確に把握していない証拠だ。蕎麦屋に転身したのではなく、営業品目が蕎麦中心になってきた時流に従って、変身しただけの話であり、転身したわけじゃない。    

     

    

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