キュウリを切って勘当する
写真㊤:画像元
キュウリのお話。本日の「キュウリ」は「胡瓜」ではなく、久離・旧離 である。
昔(戦前)は、息子や娘の不行跡が続くと、よく「勘当だっ!」と言ったものだ。親戚一同協議の上、「親や親戚の意見を全く聞かず放蕩三昧を続ける子供を勘当する」というのが定番らしい。
これを 久離・旧離(キュウリ)を切って勘当する という。
「もう親でも子でもない、赤の他人だ。親戚も相手にしないゾ」ということを意味する。
今から思えば、随分身勝手な理屈であり親に都合の良い制度だが、江戸の昔から認められていた。もちろん、現・民法は認めていない。
この制度は、いろいろな弊害を伴いながらも 家制度 の存続に有効だった。裏返して言うならば、これが「家制度」の頸城(くびき)となって、多くの人びとを苦しめた面も否定できない。
不孝をも勘当をも許すぞ許すぞと声をあげて呼び入れここに…
これとは直接には関係ない話だが、我が国は曖昧な双系制社会であるため、嗣子(長男)の出来が芳しくないと、娘に優秀な婿養子を迎えて「家の存続」を図ったことは夙(つと)に知られている。父系制が徹底している中国や韓国では考えられないことだ。
従って歌舞伎・落語など芸能分野でも、「勘当」や「婿養子」を中心テーマに採り上げた作品が多く残っている。
桂 文楽(かつらぶんらく)
(八代目/昭和46年没)
「船徳」 八代目文楽の芸は、落語的リアリズムに徹し、高座での感じが明るくて磨き抜かれた緻密な芸でもあったといわれています。切手には船頭姿が描かれています。
【演目解説】勘当された元若旦那のにわか船頭。非力な上にヘッポコで、乗った客は舟もろとも木の葉のように、波に揉まれて悲鳴の連続だ
ひょっとしたら、「キュウリを切って勘当する」という仕組みは、相続において「家の存続」を第一に考えた我が国の社会が生み出した歪みかも知れない。
それとも「キュウリ」だけに、“コウコウ”(孝行)もままならず、“う漬け物”(虚け者)という洒落か? だとしたら、“糠った奴”(抜かった奴)だ。
06.09.06
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