落語『湯屋番』の若旦那と元・高級サラリーマン老爺は“空想性虚言症”?
写真上:銭湯
『精神科医の落語診断』(青蛙房)の著者である精神科医の中田輝夫先生によれば・・・ (写真:中田輝夫・昭和大学医学部教授)
落語『湯屋番』(ゆやばん)の若旦那は“空想性虚言症”の一歩手前だそうだ。
落語『湯屋番』の粗筋
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先生のお話を要約すると・・・
〈『湯屋番』の若旦那の場合〉
なぜこの若旦那が、こんな空想をするのか・・・大家(たいけ)の若旦那が、今や湯屋の下っ端だ。車を引いて方々の普請場を廻って、木切れや鉋屑を拾い集めてくる・・当分はそんな身分で辛抱しなければならない。どう考えても気詰まりなことだ・・・こんな状況に耐えるためには、何らかの手を打つことを考える。
このような心の動きを、専門的には『心理機制』または『防衛機制』と呼ぶ。健康な人でも知らず知らずのうちにやっているのだ。心理機制は落語に非常によく登場する。
若旦那は現実に自分のおかれた世界の上に、空想の世界を構築するという方法をとった。その結果の被害は、そんな深刻なものでもない。
せいぜい銭湯の客が軽石で顔をこすって血を出したり、下駄を失敬されてしまうくらいに収まっている。
この噺を聞いている客の方も、こんなウマイ具合に女と懇ろになれたら良いなというような共有感情すら湧いてくる。むしろこの噺の後日譚を是非聞いてみたくなる・・・これが“空想性虚言症”とあえて決めつけない理由である。
高々、そんな空想の世界にちょっと足を踏み込んで、「世の中、同じことなら楽しく行きましょうや」くらいのことを考えている楽天家なのだろうと思う。
〈元・高級サラリーマン老爺の場合〉
中田先生の理論に従えば、世間にも、このような心理機制に基づく“空想性虚言症”の一歩手前の元・高級サラリーマン老爺が多いような気がする。
中田理論によれば・・・なぜ元・高級サラリーマン老爺が、こんな空想をするのか・・・元は大会社の大部長だった元・高級サラリーマン老爺が、今や世間の下っ端だ。毎日が日曜日。することがないから山手線に乗って方々の駅を廻って、荷物棚の古新聞・雑誌や鉋屑を拾い集めて・・・は来ないが、この先、見通し無く今の身分で辛抱しなければならない。どう考えても気詰まりなことだ・・・こんな状況に耐えるためには、何らかの手を打つことを考える。
前述のように、このような心の動きを、専門的には『心理機制』または『防衛機制』と呼ぶ。
元・高級サラリーマン老爺は現実に自分のおかれた世界の上に、空想の世界を構築するという方法をとった。その結果の被害は、そんな深刻なものでもない。
せいぜい元職場OBの呑み会で昔の仲間に「先日の割り前を払え」と青ざめて請求したり、スーパーで財布を失敬してしまうくらいに収まっている。
世間の老爺も、こんなウマイ具合に人生と懇(ねんご)ろになれたら良いなというような共有感情すら湧いてくる。これが“空想性虚言症”とあえて決めつけない理由である。
たかだか、そんな世間にちょっと足を踏み込んで、「世の中、同じことなら楽しく行きましょうや」くらいのことを考えている楽天家なのだろうと思う。