サクラ情報
各地から花の満開情報が寄せられ、‘春たけなわ’といった今日この頃です。
浅草寺も花見の客やら参拝客やらで、ごった返して馬鹿な賑わい。浅草寺の西の出口=「商売繁盛の銭塚様」の前で、水戸から来たという親爺が刃物を売っていた。客は疎らで、二、三人…。
一人だけ、熱心に聞き入っている客がいた。そのうちに、その客が懐から大枚を出して、刃物をひとつ買い込んだ。
そこまで見て飽きたので . . . 本文を読む
牛丼決死隊
物事の解決には、万事「落とし所」が必要だ。というのは、日米間に多くの懸案がある中で、米国産牛の牛海綿状脳症(BSE)問題が、とくに両国間に鋭い対立と緊張を生んでいる。
そこで落とし所だが、お互いに余りカタイことばかり云ってないで、条件を付けて折り合ったらどうだろうか。
問題を整理すると、①米国は日本に牛肉を売りたい。②日本の牛丼ファンは死んでも牛丼を喰いたい。③牛丼チェー . . . 本文を読む
家出
昔と比べて様変わりになったのが、“家出”だそうだ。携帯電話の功罪がやかましくいわれているが、携帯の出現が決定的な要因だ。
昔は、子供が家出をしようものなら、友達の家へ‘しらみつぶし’に電話をかけたり、挙げ句の果てに警察へ捜索願を出すのがお定まりのコースだった。
しかし今は、家出した子供が携帯を持っていて通話が出来さえすれば、一安心する親が多いそうだ。居場所は兎も角、「 . . . 本文を読む
固有名
人間誰しも、固有名(固有名詞)を持っている。なかには、厚かましくも芸名やペンネームまでまで持っている人もいる。
ところで固有名は何も人間だけの専売特許ではない。飼い犬や猫でも大概持っている。鼻から息をしている動物だけではなく、「物」や「こと」も持っている。「地球」「月」もそうだし、「日本国」「第二次世界大戦」というのも立派な固有名だ。
ところで小生の友人で非常に面倒くさが . . . 本文を読む
女性専用車両
4日朝から「埼京線」と、相互乗り入れする「りんかい線」で、女性専用車両の導入が始まった。女性専用車両の導入は、一部私鉄などで実施されているものの、遅々として進んでいない。
ホーム混雑と相互乗り入れが多いため、進んでいないということらしいが、痴漢行為が一向に減らない。業を煮やした国土交通省のお声掛かりで、今後はいくらか進捗しそうな雰囲気だ。
先進国を自称するならば、こうい . . . 本文を読む
にほんごであそぼ
テレビをあまり見ない私だが、とても気に入っている番組がある。NHK教育テレビの「にほんごであそぼ」と「クインテット」という幼児向け番組だ。制作者の良心が伝わってくる良質なものだと思う。
出演者は、コニシキ(小錦)と幼稚園児、そして準レギュラーが、狂言師・野村萬斎、小さんの孫と若手の講釈師(名前は忘れた)他。日本語の題材が凄い。鴨長明、紫式部、芭蕉、漱石、島崎藤村 . . . 本文を読む
長閑な話 続編
農業問題に詳しい小生の友人に「授粉作業」に就いて聴いてみた。
曰く《受粉作業は直ぐ続く摘果作業と共に農家にとっては最も苦痛な作業(袋掛けは少なくなった)。
青森県では最近までりんごの受粉作業を手伝わせる為に学校を休みにして子供まで総動員していた。受粉が少ないと果実の数が減り、反比例して果実の玉が大きくなりそれなりにバランスが取れる。
受粉用の蜂だが最近は輸入物が増えて、生 . . . 本文を読む
長閑な話
拙宅の周囲には、梨畑が多い。毎年、この時期、梨畑の傍を散歩していると、梨の花の授粉作業に追われる農家の人びとの姿を見掛ける。
昨年は梨の花が例年より一週間早く開花した。慌てたのは、梨農家。「新高」「豊水」といった銘柄の授粉作業を開始した。戦力は近所の主婦と蜂である。
ところが桜をはじめ様々な花が一斉に開花したため、蜂が飛散してしまい、梨の授粉にはサッパリ戦力にならな . . . 本文を読む
言い得て妙な屋号集
JR船橋駅前に、『圓居』(まどい)という屋号の、なかなか安くて旨い蕎麦屋がある。宴会でよく使うが、この店の電話が数日間に渡って繋がらなくなったことがある。アナウンスのテープも流れず、電話のコールも途中でブチ切れてしまうのだ。
“すわ倒産!”とは誰しも思う。何のことはない、改装中だったのだ。電話のブチ切れは工事職人の仕業だとわかった。
これじゃ『圓居』じゃなくて『 . . . 本文を読む
花のない花見
(写真上:鼻見 写真中:蒲鉾 写真下:卵焼き)
花はなかった。そのかわり蒲鉾と卵焼きはふんだんにあった。
断っておくが、蒲鉾とは「真っ白な大根の漬け物」ですよ。「べったらづけ」というやつ。とくりゃあ、卵焼きは「たくあん」の黄色いのに決まっている。
○1「幹事ィ~、白いのくれえ~」
幹事「色気で云うな! ちゃんと名前を云え!」
○1「蒲鉾ぉ!」
幹事「よしよし . . . 本文を読む
言葉戯び
“言葉戯び”は江戸時代に盛んになり、明治のご一新以降の近代化のなかで、隅に追いやられてきた。
[近代の発見した「自己」とか「内部」、「精神」とやらを云々する純文学・近代小説]よりも遙かに下等なものと分類されるのが世の常識となった。
それが面白いもので、1980年代に「ポストモダニズム」(近代の超克)が勃興するや、俄然、江戸時代の戯作や“言葉戯び”が脚光を浴びるようになったの . . . 本文を読む