Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

2010年頃の中の人のブログ 一眠り/忙しい日々/仕事

2024-04-11 12:19:00 | つれづれ


・一眠り

 今日のブログ投稿分を書き始めたのはかなり早い時間だったのだけど、あまりに眠いので床に横になり一眠りして目が覚めたら、只今午前三時である。


 浅い眠りの中で、波瀾万丈、抱腹絶倒、豪華絢爛、春夏秋冬な夢を見ていた気がするのだけど、目覚めと共にすっかり忘れてしまっていた。


 よくよく考えてみれば、このところ、目が覚めてからも覚えているような印象深い夢を見なくなった。


 夢日記を付けているので、前はかなりの頻度で物語に起承転結があり、総天然色フルカラーの尺が2時間のハリウッド映画に匹敵するような夢をよく見ていたのだけど、そん鮎目を見る機会が減ってしまった。


 その理由は分からない。

 

 心が疲弊すればするほど、そんな夢を見る事が多かった気がするのだけども、今ではそんな夢を見ることが出来ないほど、現実というものが夢の中にまで浸食しているような気がしてならないのだ。


 最近見て覚えている夢と言えば、印刷工なので印刷して断裁しておかなければならない印刷物を、印刷までやっておきながら、断裁するのを忘れていて納期に間に合わなくなるという夢である。


何の楽しみもない夢だと思う。



・忙しい日々


 何に追われるというわけじゃないけども、あえて言うなら仕事と時間と貧乏に追われる日々だと言っておく。

 金がないのは自分の所為だと理解はしているのだけれども、仕事が忙しいのと時間がないのは私の所為ではない。

 無理な日程と、能力を超えた量の仕事が詰まっているのである。

 最終的に納品が間に合えばいいですよと、段取りを組む担当者は思っているに違いないのだが、単純計算で二日分以上の仕事を、一日でこなさないといけないようなものでそれが一週間以上続くのである。

 やらないんじゃない、時間が足りないんだと。


・仕事


 今は印刷会社勤務なので、「お仕事は?」と聞かれれば、「印刷会社で働いています」と答えればいいので、人に説明するのは簡単なのだけれども、倒産によって解雇された前の会社で働いていたときは、他の人に説明するのが難しかった。

 「製版会社の色校正部」

 単純に言えば、これですむ話なのだけれども、そもそも「製版会社」といわれても、何かの版を作る会社だと理解は出来るかも知れないが、それはどんなものであるかという事は、多くの人が理解できない事だからである。



2010年ごろの中の人のブログ 批評と現実

2024-04-11 12:15:00 | つれづれ

批評と現実


 直接身近にいる人の中で、このブログを私が書いている問う事を知っているのは、同じ会社で働くI君がこんな事を言う。


 「どうしてあなたが書く物語は、救いようのない破滅的な話ばかりなのですか!?現実が辛いのに、物語の仲間で悲劇で終わってどうするんですか?せめて物語の中くらいは楽しい話を読みたいと思うのが、人の心の中だと思うでしょう?心にどれだけ深い闇があるというのですか?」


 「そんなに極端な話は書いてないだろう?主人公に取ってみれば、あるいみハッピーエンドに思えるものばかりじゃないだろうか」


 「バッドエンドですよ!!会話文でおちゃらけて、楽しげな雰囲気ですけど、ラストはよくよく考えれば、何も解決していなくて悲劇です」


 「日本人とイタリア人は悲劇が好きなのさ。だから一般的な人の好みを考えれば、悲劇な形で終わるのも、ありといえばありなんだよ」


 ふと頭に浮かんだガンスリンガーガールという漫画の中で使われたセリフを引用して私は答えたのだった。


 確かにI君の様に、漫画やアニメや映画や小説などの娯楽において、その中では現実というものから離れて楽しい話を読みたいという人はいるという事は知っている。


 私もそう言うものは嫌いではなく、もちろん好きなのではあるけれど、それとは逆にの方向に針が振れた話も好きなのであったのだ。

 

 「そんな話ばかり書いていると、闇に引きずられてしまいますよ?それで、あなたが某かの事件を起こしたら、犯人の心の中の闇を解き明かすとか言われて、みのもんたに朝ズバの中で、私にはわかりませんねぇ〜とか言われちゃうんですよ」


 「それは嫌だな」


 「それでまた規制ですよ。犯人に影響を与えたような作品は規制されちゃうんです」


 「そんな時は朝ズバに影響されましたと言っておく」


 「何の解決にもなってねぇ!!」




2010年ごろの中の人のブログ 不条理の神様

2024-04-11 12:03:00 | つれづれ

・不条理の神様


 世の中というものは本当に不公平で、矛盾に満ちていると思うのは、私だけではないだろう。

 パチンコ屋で両隣の台に座るお爺さんとお婆さんが、ドル箱を積み上げているのに、二人に挟まれた私だけが、湯水のようにお金が台に溶けていくというのは、どんな因果律であるのかと。


 これは呪いか、前世のカルマか。

 私はどんな業を背負っているのだろう。

 

 「みたらし団子が食べたいです!!」

 

 同じ会社で働くI君からもたらされた、会社の近所の和菓子屋が何十周年とかで、その開業日に団子が一本50円になると言う情報を聞くなり、新人のOさんが私にそう訴えたのである。


 「……」


 言っておくが、私は決してケチではない。


 守銭奴ではあるかも知れないが、自主申告として決してケチではないと言っておく。


 時が時ならば、北海道生まれで有りながら、宵越しの金は持たなねぇ!!と言う、江戸っ子気質の男である。


 二十歳近く年下の新人であるOさんに、みたらし団子の四、五本を食べさせてあげるくらいの気持ちはいつでも持っていると言って良い。

 

 しかし、そんな江戸っ子気質が災いし、現在の所持金は四百円である。

 お金がなければ買ってあげられないのである。


 給料日まで缶コーヒーを一日一本しか飲むことが出来ない男に、たとえ娘と呼べるかも知れない年齢の後輩に、みたらし団子一つさえも買ってあげる事が出来ないのは不徳の致すところであると言えるだろう。

 残念無念である。


 閑話休題。

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「良いことなのか…それとも、悪いことなのかは、分からない。でも、多くの人間がそうであるように、俺もまた自分の生まれた国で育った。そして、ごく普通の中流家庭に、生まれつくことができた。だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労も知らない。別に、知りたいとも、思わない。子供の頃は、水軍のパイロットになりたかった。ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。速く、高く、空を飛ぶことは、何よりも素晴らしく美しい。でも、学校を卒業する2ヶ月前、そんなものにはなれないって事を成績表が教えてくれた。だから宇宙軍に入ったんだ」


王立宇宙軍 オネアミスの翼 より

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 私の好きな「王立宇宙軍」のオープニングで語られるモノローグである。


 早い話が「人生って、思った通りには行かないよね」みたいな意味合いだと思うのだけど、確率的にも、統計的にも運から見放された私の背後霊は貧乏神であるような気がしてならない。

 捨てる神があれば、拾う神さえいない。

 生きている事が奇跡というよなものであるのかも知れない。

 そう言えば、私が生まれたときは酷く未熟児で、医療の進んだ今ではそうでもないのかも知れないが、2300グラムでこの世に生まれ落ちたときに、呼吸をしていなかったそうである。 

 産婦人科の先生が、私のお尻だったかどこかを叩いてやっとか細い声で泣き出したそうなのだけど、その時に全ての運というものを使い果たした気がしないわけでもない。


 一撃必殺である。

 享楽のパチンコ台なら、プライスボタンが勢いよく飛び出る感じであろうか?

 キター!!!!

 と思ってボタンを叩いたら、あっさり外れる事の恐ろしさ。

 そんな台は二度とあたらない気がするのは体験談であると言っておく。


 確率的には50パーセント(メーカ発表)である。

 それを人生の様々なターニングポイントで、悉く外し続ける男であった。


 広瀬香美が「冬の女王」と呼ばれ、後に「ツイッターの女王」と呼ばれるようになった如く、華麗に転進したいものではあると思うのであるが、それはそれでまた困難が伴うのであった。


ポジティブ

2024-04-11 11:14:00 | Ai生成

今回のテーマは「ポジティブ」についてです。

私たちは日常生活においてさまざまな試練や困難に直面しますが、ポジティブな考え方や態度を持つことで、それらを乗り越える力を身につけることができます。


まず、ポジティブな思考の重要性について考えてみましょう。

否定的な考えやネガティブな感情に囚われていると、自分自身を制限することになります。

一方で、ポジティブな考え方は、自信や自己肯定感を高め、目標や夢に向かって積極的に取り組むことができるようになります。


さて、実際にポジティブな考え方を身につけるためには、どのようなことに気をつけるべきでしょうか。

まずは、自分自身に対する言葉遣いに注意しましょう。

自分を励ます言葉を使い、自分自身を否定しないように心掛けることが大切です。

また、他人と比較することも避け、自分の成長や進歩を喜ぶことが重要です。


さらに、困難や挫折に直面した場合も、ポジティブな考え方で対応することが大切です。

失敗や挫折は成長の機会であり、新たなチャンスをつかむためのステップと考えることができます。

ポジティブな人は、困難に立ち向かう勇気や持続力を持っています。


また、周囲のポジティブな人々との交流も重要です。

ポジティブな考え方や行動をする人々に囲まれることで、自然と自分もポジティブな思考や行動を身につけることができます。

ポジティブな人々から学ぶことで、より良い未来を築くためのヒントやアイデアを得ることができるでしょう。


最後に、ポジティブな考え方を持つことは、健康的な心の状態を保つためにも重要です。

ストレスや不安に悩まされることが少なくなり、心身のバランスを取りながら充実した日々を送ることができるでしょう。


皆さんも是非、ポジティブな考え方を身につけて、人生の様々な場面において前向きに取り組んでみてください。

自分自身や周囲の人々に幸福感と希望をもたらすことができるはずです。

ポジティブな心を持って、明るい未来を切り拓いていきましょう。



短編小説〜母の味〜

2024-04-11 11:08:00 | 短編小説

 「刑の執行が明日の朝に決まった」


 まだ春と言うには少し肌寒い、ある日の早朝。


 鍵の掛けられ、ドアについた強化ガラスの窓越しに、私はそう言った。


 そう言われた囚人番号1192は、特に表情を変えることなく、いつも通りの少し焦点のずれた視線を私へ向ける。


 「そうですか」


 「今日の夕食が最期の食事になる。何か食べたい物があるならば言いなさい。最期の食事は希望にできるだけ応える事になっている」


 そう言う私の言葉を聞くと、囚人番号1192は少しだけ考えて、野菜スープと囁くような声で言った。


 「本当に野菜スープでいいのか。寿司でも、ステーキでもいいんだぞ。確かにフランス料理のフルコースと言われれば、それは無理だと言うしかないが、野菜スープの他に、もっと何かあるだろう」


 お節介と言えば、お節介だと思うのだが、明日の朝には絞首台に登る身であるというのに、最期に許された希望が野菜スープというのは、少し寂しすぎる気がする。


 今から七年前。


 彼は子供から大人まで、合わせて11人を殺害した罪で死刑判決を受けた。


 元々は、つき合っていた女性との別れ話のもつれから、彼女を衝動的に刺すという、殺人未遂事件がきっかけで逮捕されたのだが、捜査の過程で実の母親も含め、11人もの犠牲者を出した連続殺人事件の犯人であると言う事を自供し始めたのだった。


 その事件で最初の犠牲者は、彼の唯一の身内であった母親だった。

 彼の身の上話を聞けば同情するに値する人生であったと誰でも思うだろう。

 父親はどこの誰であるかも解らず、幼い時から母親の虐待を受け、義務教育すら満足に受ける事ができない日々。 

 行政に保護され、施設へ一時的に引き取られるものの、母親の元に戻り地獄のように辛い日々が、母親を殺害したその日まで続いたという。

 もちろん、だからと言って彼が犯した罪は消えるものではない。

 「人生は野菜スープみたいなものだって、言うじゃないですか。確かに俺の人生は野菜スープのようなものだったと思えますよ」

 彼はそう言って小さく笑ったのだった。

 「母親が作ってくれた料理で覚えているのは野菜スープくらいなものです。美味い時もあれば、まずい時もある。好きなものもあれば、嫌いな物もあった。だけどどちらにせよ、食べなければ生きて来られなかった。まさに人生は野菜スープみたいですよ。俺の意志なんか関係なかったんです」

 「良い意味でも、悪い意味でも、母の味って言う奴か」

 「まぁ、そんなところです。オフクロを殺した日も野菜スープでした。近くの河原で取ってきたタンポポとツクシ、それに残り物のキャベツとトマトを足し、塩で味付けしただけのスープ。16になってた俺は、流石にタンポポはないだろうと、オフクロと大げんかになり、カッとなってしまって、つい……」

 その後に彼が残酷に殺した人々はどんな理由で殺したのだろうと思ったが、死刑を明日に控えた彼にそれを聞いたところで、何の意味もないだろうとも思った。

 その日の夕食。彼の希望の通り、最期の晩餐は野菜スープとなった。

 私が監視する中で独房から出た彼は専用の個室で野菜スープを啜っていた。 

 それだけではなんだろうと、パンとご飯も用意したが、彼はそれらに手を付けることなく、ただ野菜スープを声を出さずに泣きながら啜っていたのだった。

 翌日、刑は整然と執行され彼は27年の人生を終えた。


 絞首刑によって伸びた首。

 垂れ流した糞尿。

 隆起したジョニー。


 彼はどこからか引用して、人生は野菜スープのようなものだったと言っていたが、彼の最期の姿を見た時、野菜の栄養分は熱に弱いので、スープとして出された時点で野菜の栄養分は失われており、野菜スープでは栄養素を得る事ができないと言う話を思い出した。つまり、野菜は生で食べろと言うオチだ。


 後日、ネットで彼の記事を見かけた。

 どこからか、彼が最期に野菜スープを食べたという情報が漏れたらしく、その事について書かれたいた。


 何でも囚人番号1192は殺人を犯すと、遺体の一部を持ち帰ると、野菜スープと一緒に食べていた過去があるという内容の記事だった。



 「本当に母の味だったんだな」