こんな夢を見た。
押利鰤子の夢分析
高校に通っていた。
ちょうど文化祭も終わり、イベントが終わった後の微妙な空気が流れていた。
次の行事は一月後のマラソン大会で、この後の体育はマラソンが予定されていた。
ただひたすら校庭をぐるぐると走るだけなので、誰も楽しみにしている生徒はいない。
前の授業が終わり、次の授業までの十分間の休憩時間に体育館まで行き、ジャージに着替えなければいけない。
それだけでも面倒だった。
三人の女子が教室の片隅で何か固まって話をしていた。
どうやら文化祭で使った教室の備品がどこに行ったかわからないと言う話だった。
その備品は中に水を入れ、陰部を洗浄するのに使う隠洗ボトルだった。
そう言えば最後に使ったのは自分だったような気がしてきた。
「ねぇ、最後に使っていたのは押利君だったんじゃない?」
1人の女子がそう言ったのが聞こえてきた。
自分が最後に使ったものが見つからないのは非常にまずい気がする。
そう言えば、次の体育で着るジャージはどこに置いたか忘れてしまった。
確か赤いセカンドバッグに入れていたと思う。
教室を見渡すと、教室の反対側に自分のバッグがあった。
開けてみると、いつから洗っていないのかわからないジャージが出てきた。
ついでにいつのかわからない弁当箱も出てきた。
中に手をつけていないはずなので、開けるのが恐ろしい。
すでに匂いがする期間も終えているようだった。
そして横には隠洗ボトルが五本ほど、コンビニのビニール袋に入っていたのを見つける。
「ごめん、俺だった」
女子にそう言うと、彼女達はプンスカ怒って、きちんと消毒して洗っておいてよねと言い、体育の授業に向かって行った。
私は教室の隅にある流し台で隠洗ボトルを洗い、消毒する。
もう休憩時間も終わり、体育の授業が始まってしまう。
「何やってんの。もう授業が始まるわよ。早く体育館に行って着替えなさい」
担任の先生が教室に入ってきて私をみるとそう言った。
高校二年の時の担任で、英語の女性教師だった。
今は高校二年なのかと思いつつ、私は体育館に向かった。
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押利鰤子の夢分析
この夢は、何かを忘れたり、責任を果たさなければならないことへの不安や重荷を感じている可能性があります。
文化祭やマラソン大会などのイベントは、学校生活や日常生活において重要な出来事を象徴しています。
洗っていないジャージや消毒していない隠洗ボトルは、自分が何かを放置していたり、気にかけるべきことを先送りにしていることを表しているかもしれません。
担任の先生や同級生の反応からも、周囲の人々があなたの責任を求めていることが示唆されています。
この夢は、自己管理や責任感を持つことの重要性を思い出すためのサインかもしれません。
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