幼い時に私が住んでいた家は、二階建てで三角屋根の借家だった。
家の前の道路はまだ舗装されておらず、ただ砂利が敷き詰められているだけだった。
さすが第二次世界大戦が終了して三十年ちょっとの昭和四十年代後半である。
道路と家の間には、細いドブ川が流れていて、突き飛ばしてしまった弟がそこに落ちて、台所の流しで洗われていたのも今は昔の事であった。
まだまだ小さく珠のように愛くるしい幼児だった私は、補助輪が付いた愛車で、車が走るのもままならないような荒い砂利の道をガタガタと体を震わせながら疾走していたのであるが、家の前から100メートルも進むと綺麗にアスファルトで覆われた道に変わるのだ。
しかし私はその綺麗な道に進入することはなく、我が家へ向かって引き返すのである。
なぜならそこから向こうは、私の知っている世界ではなかったからである。
その道は東西に渡って二キロの直線道路であるのだが、私の世界はその道の東端わずか100メートルほどしかなかったのである。
もちろん、三、四歳の愛らしい幼児にそれ以上の世界など必要もなかったのだけれども、私には愛車があり、行こうと思えばいけたのだが、そうしなかったのは迷子になるのが怖かったからである。
よくよく私は迷子になる子供であった。
一人になると、不安になるのだ。
自分は捨てられたのではないかと。
森で迷った時は、動かずに救助を待てなどという格言があるけれど、パニクっている幼児の私に格言などは何の意味もなさなかった。
悪手、悪手、悪手である。
状況を打開しようと目の前の選択肢を選べば、それはいつも最悪の選択であるという状況。
自ら進んでそんな自体に飛び込もうという気は起きないのである。
だから私は冒険を犯さず、身の丈にあったライフスタイルを求めて100メートルの範囲で行ったり来たりを繰り返す日々だった。
よくよく考えてみれば、今もそれはあんまり変わっていなかったりする。
出来る範囲の事をやり、出来ない事はしないのだ。
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