ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

寒いニセコでだちょうさんが大丈夫な理由

2022年11月28日 | だちょうさん
アフリカの砂漠で現存しているだちょうさん。



あまりにも気候の違う、ニセコのような寒いところで飼われているだちょうさんが大丈夫なのか心配になりますよね。

私は雛がある程度大きくなったら暖房を使わずに育てています。

なんとなくかわいそうに感じますよね。

しかし、実は起源までさかのぼると寒いニセコでも大丈夫な理由が分かります。

だちょうさんの祖先は恐竜から進化した小さな鳥でした。

この鳥が恐竜の絶滅して天敵が減った地上で繁殖し、飛べなくなった鳥の一部がだちょうさんの祖先といわれています。

そのだちょうさんの祖先がいたところがどこだと思いますか。

きっと皆さんは何となくだちょうさんが現存しているアフリカ大陸かと思いますよね。

人類はアフリカ大陸から拡大していったといわれていますし、何となく生物共通の起源と感じやすいのかもしれませんね。

実は最近の研究によるとユーラシア大陸からアフリカ大陸に渡った可能性があるといわれています。

数万年前のだちょうさんの化石が中国各地やロシアから出土していることや化石の分析など、ご興味ある方は是非調べてみてください。

ちなみに、他の鳥からだちょうさんの仲間の形に分化が起こったといわれているのが7900万年も昔で、10万年単位で温暖化と寒冷化を繰り返す地球の歴史の中で、だちょうさんは地球が今よりも寒かった時代に寒い地域でも生息していたようなのです。
ユーラシア大陸が地続きだった2000万年前くらいにアフリカ大陸に移動したと考えられ、数十万年前に生まれたといわれる人類にとっては大先輩ですね。

もう一つだちょうさんが寒さに強いといえる理由は体の大きさです。

皆さんはベルクマンの法則というものをご存じでしょうか。

これは体の大きな恒温動物ほど寒い地域にいるというものです。
日本ではツキノワグマとヒグマの関係や二ホンジカとエゾシカの関係が分かりやすいですね。

体の表面積と体積の関係で、体積が大きくなるほど表面積の割合が小さくなり、体の中に熱をため込めるというものです。

この法則に照らし合わせると、鳥類で一番大きいだちょうさんがアフリカの暑いところにいるのは不思議ですよね。

しかし、先ほど書いただちょうさんの起源から考えると面白いと思います。

ひょろっと長い首や脚は熱をため込むのに適していないように見えますが、寒いときはうずくまり脚は収納できますし、首は細いので表面積が少ないです。

長くなりましたが、だちょうさんの起源とベルクマンの法則から、だちょうさんが寒いニセコでも大丈夫なのだと納得してもらえればと思います。

ちなみに寒さに強い理由の一つに腸の長さに伴う消化吸収能力の高さも関係していると個人的に考えています。

鳥類では圧倒的な長さであることに加えて、虫や小動物のような動物性タンパク質から植物のセルロースまで消化できる豊かな腸内細菌叢を持ち、エミュー等の走鳥類の中でも群を抜いて、長い時間をかけて無駄なく吸収消化する過程で、発酵熱も発生させて、体を温めてエネルギー効率を高めているようです。

私の考えでは、だちょうさんは他の生物の進化に伴ってロシアや東アジアなどの生息域を失っていきましたが、むしろ進化した他の生物が生き延びられなくなった、乾燥して食物がない過酷な環境でも生きられるから生き延びているのだと思います。

外敵を察知する能力、時速60キロの速度で走り続けることができる鳥由来の心肺能力と地上で進化した脚力、長い腸の中の豊かな腸内細菌叢を活かして他の草食獣の糞や他の生物が食べられないようなものを消化吸収する能力、けがを化膿させずに治す免疫力、脂肪から水分を体内で作る能力など、様々な環境、時代を越えて古代から受け継いだ形質を活かしていると思います。

地球温暖化が気候危機ともいわれるようになり、現代の社会の継続性が危惧される今日において、今よりも過酷な環境を生き延びてきただちょうさんを見ていると、地球が住みにくくなったと思っているのは我々のような歴史の浅い生物たちだけで、古代から生き延びてきた生物たちは持ち前の生命力を活かして、次の大量絶滅を耐える準備をしているように思えるのですから不思議です。

そうならないように私たち人類ができることとしては、地球の歴史に比べると短い年月の中で”不自然な社会”を築いてきている事を学び、もう少し長く大きな視野で物事を捉えて、自然と寄り添う事が大切だと感じます。

そうはいっても現代人は圧倒的な情報や知識の量に溺れてしまい、物事の本質を捉えられないことが増えているようです。

だからこそ私は意識して、時に立ち止まり、自然や過去から物事を学んできたことを少しでも伝え、これからの社会がより良くなったり、生きやすくなったりできるようにしたいと思います。





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二つ良いことさてないものよといいますが、だちょうさんが元気いっぱいということは喧嘩も多くなるということで……

2020年03月16日 | だちょうさん
今年は暖かい冬で、春も早まっていますね。
だちょうさんは卵を例年よりもたくさん産んでくれています。
体つきも良い子が多いので、去年よりも栄養管理が上手くいったからかなあと、少し嬉しいです。
しかし、二つ良いことさてないものよ。
春はオス同士のけんかが起こる時期なのですが、例年は仲良くしているオス同士が今年は大ゲンカ。
小屋から逃げ出して途方に暮れている喧嘩に負けた子を小屋に戻すことが最近何度もあります。
別居させながら、関係の改善を目指しています。
ただ、今年のオスは元気すぎて、合流させると弱い方の子がすぐ追い出されてしまいます。
小屋の周りに連れて帰るとき、慰めるようなことを言いながら、ゆっくり後ろから付き添って戻すのですが、一人で過ごしている様子を見ていると淋しい気がします。
春先の興奮状態が少し落ち着くまで、気を付けて世話をしてあげないとならないですね。
別居している間、弱い方の子を小屋の周りに放し、ポニーのうららちゃんも同じ場所で放すことにしました。
うららちゃんは興奮状態のオスや弱い方のオスのことなど全く気にせずに、ポカポカ陽気を浴びながら、草やだちょうさんの食べ残しを黙々と食べています。
うららちゃんにとってはラッキーなようです。
良いことばかり、悪いことばかりでもないということをつくづく感じています。

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今日は頂いたものだけでだちょうさんの餌を作りました。

2019年09月02日 | だちょうさん
今日はいつも頂いているおから、粉屋さんからもらったグラハム粉、ベーグル屋さんからもらったオーツ麦を混ぜて特製の餌を作り、だちょうさんに与えました。魚屋さんからもらった貝殻も撒きました。
今日から泊まりに来ている、民泊の生徒さん達にとって、だちょうさんのチカラを見せることができて良かったですし、農業の一つのモデルとして教えることができました。
いつも頂けるわけではないのですが、頂けるときはとってもありがたいです。
だちょうさん達は最初は戸惑いますが、ちゃんと味が分かれば本当に美味しそうに食べてくれます。
彼らの腸内細菌を活発に保つために、いろいろなものを与えることが必要です。
また、餌代の削減にもなりますから、削減した分、ビタミン豊富な生草がない時期に良いエサを買い与えることができます。
停電の影響でうまく焼けなかったというパンも頂いているので、明日もいっぱいあげられそうです。
毎日、色々な出会いがあって、その積み重ねが今日のような日につながっているのだと思うと、日々の言動や出会いを決しておろそかにできないですね。
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お店のオープンと放牧開始まであとわずかです。

2019年04月16日 | だちょうさん
順調に放牧地の雪が解けており、このままいけば、4/27日の土曜日に放牧開始とカフェのオープンができそうです。
今日は天気が良かったので、ベンチのペンキ塗りをしました。
他にもいろいろとしなくてはならないことがありますが、間に合うのでしょうか…
とにかく、外で働くことがとても気持ちの良い天候ですね。
これからしばらくはとても気持ちの良い日が続くので、うれしいですね。
だちょうさんのオスの中には良い発情が見られる子もおり、卵もこれからどんどん生まれてくれるのではと期待しています。


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まろの死と学び

2019年02月04日 | だちょうさん
オスだちょうさんのまろが昨日亡くなりました。
牧場の中でも歳が高い子で、このところの寒さで弱りました。
一度は元気になっていたのですが、一昨日、急に元気がなくなってしまいました。
一昨日は良く様子を見て、まだ大丈夫だと思っていたのですが。
冬を越えられないだちょうさんの死はとても悲しいです。
もう一度、広いところで走り回らせることができないのですから。
どうしてもっと彼に尽くせなかったのだろうかと思います。
できたことがあったに違いありません。

まろは人にあまり慣れない子で、お客さんの近くに寄ってくることはないです。
他のだちょうさんともあまり慣れ合わない子で、公家のような高貴な印象からまろと名付けました。
まろとの思い出はたくさんありますが、一番印象に残っていることがあります。
私はだちょうさんのいる小屋の中で作業する際、だちょうさんが寄ってこないようにだちょうさんが怖がる大きな黒い筒を設置します。
私がそれを運んでくると、だちょうさんは走って逃げだします。
ですが、まろだけはまったく気にしないで私に近寄ってきます。
私の作業の邪魔を時々しながら、他のだちょうさんから離れて一人でいられることを楽しんでいるように見えました。
まろとときどき触れ合うとき、ちょっとびくっとした後にじっとこちらを観察する目が好きでした。

だちょうさん達との別れの度に、もっとできたことがあったのではないかと考えさせられるとともに、世の無常をおもいます。
精一杯彼らのために尽くし、いつまでも元気な姿を見続けられるよう祈り、行動することが徒労のように感じることもあります。
ですが、愚かしく思えても淡々と黙々と歩みを止めないで進まなくては、彼らに申し訳ないのです。
目を輝かせて私を無批判に見つめる姿が私に問い続けるのです。
彼らが何のために生き、何を与えられるのか。そのために私は何ができるのか。
彼らと寄り添って、彼らのことを知り、とてもつらいことが多いですが、それでも考えて、彼らと生きていこうと思います。
私はもっと学び、動かなければいけないとまろは教えてくれたのだと思います。
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