ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

だちょうさんがすぐ逃げることから私たちが学ぶべきこと

2024年09月23日 | 日記
牧場ではだちょうさんが急に走り出すことがあります。
良く理由を尋ねられますが、注意深く観察していないと気付かないような些細なことでも走り出します。
一羽が走り出すと近くにいる子が一斉に走り出すことが多いです。
些細な理由で走り出すことや走り出した理由を覚えていないということから、だちょうさんは頭が悪いといっているお客さんが最近は増えています。

これは大きな誤解があると思います。
自然界において、群れを作る動物は周りの仲間の緊張している様子や逃げる動作等から危機を察知しています。自分の眼や耳といった感覚器官の情報にだけ頼っていては命が守れません。
周りが逃げれば自分も逃げるのは当然のことで、その逃げる理由などをいちいち考えていては逃げ遅れてしまいます。
また、だちょうさんは眼の良さでは他の陸上動物より優れていますが嗅覚や聴覚は他に優れている動物がいます。そういった動物が逃げ出したなら、自分たちが原因を何も分からなくても逃げ出した方が安全です。
速く長く走る能力で他の陸上動物に決して負けないので、走り出してしまえば先に逃げ出した動物よりも生き延びる可能性が高くなります。
走り出した理由を覚えていないから頭が悪いという考えは、走って逃げだすことに理由が必要な人間ならではの発想ではないでしょうか。

私たち人間は自分の生きてきた数十年程の知識や経験に基づいたバイアスや先入観といったものがあり、自分の生命の危機が迫っている時に適切な行動がとれない場合があります。
例えば火山が噴火した際、映像を撮ろうとして逃げ遅れて死亡する人や落雷する様子や水が溢れる川を動画で捉えている人がいます。
また、自然災害が発生する恐れがある際に避難を勧める情報が出ていたとしても迅速に避難しない人が一定数います。
「自分は大丈夫」だとか「これぐらいは大丈夫」という正常性バイアスと呼ばれる心の動きに従った行動をしたり、今まで大丈夫だったという経験による先入観によって避難しないとも考えられます。

逃げる事に理由が必要な人間が陥りがちな間違いのように思えます。

「〇十年ここに住んでいてこんなことになったのは初めてだ」という言葉はテレビや新聞で聞いたり読んだりしたことがあるのではないでしょうか。

人間が生きる数十年の年月から得られる知識や経験があまり参考にならないことは皆さんもご存知だと思います。

ある時牧場に雷を伴う強い嵐がきました。
だちょうさんは雷鳴が近くで聞こえだすとみんなその場に座り込み、首を地面に伏せて出来る限り体を低くしました
落雷から身を守る理にかなった無駄のない動きにとても関心しました。彼らが生きてきたサバンナのような環境で、雷鳴が聞こえたらすぐ身を伏せた者が生き延びたのかもしれませんね。

これから地球温暖化に伴う地球環境の変化が数十年に一度の頻度といわれていた規模の自然災害を頻発させるといわれています。
数十年程度の経験や知識によってもたらされる先入観によって「自分は大丈夫」と動かないことより、むしろ頭が悪いといわれても、危機を察知したら逃げる能力や備える能力がこれから大切になると思います

だちょうさんは恐竜の性質を一番色濃く残していると考えられている、古い生き物です。
彼らは地球環境が変わり、周囲の生態系が変化していく中で自分たちの生き残れる場所を探しつづけ、現代まで生き延びてきました。

私達賢いといわれる人間が文明といわれるような歴史を作り始めてわずか数千年で地球の環境を大きく変え、年々人間や他の生き物が生きにくくなっています。

人間中心の社会で生活を続けると、私たち人間は他の生き物や自然の循環によって生かされているという事実を忘れ、他の生き物への敬意を失ってしまい、安易にだちょうさんを頭が悪いと言ってしまうのかもしれませんね。

しかし、私達人間は頭が悪いと言われるような行動をだちょうさんがどうして取るのかを考え、そこから学ぶ姿勢を持てるかどうかはとても大切だと思います。

自然や生き物から学び、知識を深めていくことで、それぞれの特性を活かし、持続可能な社会を築いていけると思いますし、そのために何ができるのか常に考え、実践していきたいものですね。






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