今まで、様々な名前を見てきましたがこれが姓名判断の観点から見るとほとんどの人の名前がダメ。かく言う私の名前も改名するまでは不幸が目に見え、まずは真っ当な人生を歩めないであろう。と判断されるなまえでした。この改名以前のなまえは、爺さんの代から懇意にしていただいてるある地方の寺の老師様といわれる仏教界では名の知れた坊さんに命名していただいたそうです。もちろん、私本人が希望したわけではなく、両親や祖父祖母がそうしたのですが、この辺が名前の付け方の難しいところで、どうも文字からくる意味でイメージを作ってそこから名前の響きやらなんやら考慮して決定するのでしょうけれど、やはり姓名判断の観点からすると名前の文字全ての画数が19となり最悪。突発事故や病気、若くして配偶者との死別も起こりうる。という、姓名判断の世界では絶対に避けなければならない名前を付けられてしまっています。
普通ならば、「かの老師様に付けていただいた名前。さぞいい名前だろう。名前に負けずに努力しろ。」てなクンカイまじりに有りがたがられる名前なのでしょうけれど、子らがそうはいかずに人生に荒波の中では到底太刀打ちできないなまえで、
敗北が決定しているような名前なんですね。
何度も言うようですが、ここが名付けの難しいところでやはり専門知識がないとダメなんです。いくらT大哲学科を出られた高僧でも、そりゃ厚意としては大変ありがたいものですが、実が伴わないというか中身の全くカラッポの名前だったんです。で私が14歳の時、父が四柱推命と姓名判断の権威と出会って名前の重要さを改めて感じ、そのとき一気に家族全員の名前を改名して今に至っています。ということは家族全員の名前がダメ出しを食らってしまったという、それほどいい名前というものは少ないということですね。
今考えると一生使って自分の看板となる名前がけっこう適当に付けられているということです。もちろん、世の父母の子に対する思いは海よりも深く山よりも高いのでしょう、こらは私も二児のい父親なのでそれくらいは判りますが、気持ちの思い入れと現実の自然界の循環の中での調和というのは全く別なものとしなくてはならないのです。思い入れだけで命名された名前はほとんどダメです!
今日はこのへんで・・・。
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