新カテゴリー「自主独立 反ユダヤ金融資本・反軍産複合体」
のお話です。今までも関連した内容で結構お話しをさせていた
だきました。要は現在の日本はアメリカに隷属支配されてしま
っている。って話です。
ここへ来て、日本はいつごろからこのユダヤ金融資本の影響か
に置かれてしまったのか?という、過去の経緯を自分なりに勉
強してみました。
既に皆さんが指摘し、周知の事となっております重要なポイント
が在ります。
先ず第一が「ペリー来航と明治維新」でしょう。
なんだか学校の歴史の時間のようになってきちゃいますが(笑
これは外せません。でもって、ペリー来航以降の混乱を煽ったのが
このユダヤ金融資本です。
当時イギリスは長崎を本部とし長州藩・薩摩藩に金を出資し、また
人をヨーロッパに遊学させ、尊王攘夷対佐幕開国という対立軸を創
り討幕派への資金援助を行いました。
片やフランスは幕府に資金援助と軍事援助をして対立軸の片方を請け
負いました。 イギリス援助の討幕派が勝とうが、フランス援助の佐
幕派が勝とうが、どっちに転んでもユダヤ金融資本が儲かる仕組みに
なったいたのです。
と、まぁこの明治維新辺りから、ユダヤ金融資本のお金儲けの舞台に
日本が出てきます。それ以前はというと、徳川幕府の鎖国政策により
長崎の出島が唯一海外との窓口でしかも国交はオランダのみ。ですから
ユダヤ金融資本が市場と考えるに小さすぎたとも言えますし、アヘン戦
争、香港・マカオの併合等の清国(中国大陸)への介入で手一杯だった
ようです。
さてさて明治以降は?というとこれはもう完全にユダヤ金融資本の支配
下におかれっぱなし状態。なぜか?徳川幕府の大政奉還を経て明治政府
樹立後の国策は当然富国強兵。海外との交易により外貨を稼ぎ、最新装
備の国軍を備える事が最優先とされ、ユダヤ金融資本のお得意様となっ
たのです。
明治政府樹立後はピッカピカの明治日本を守らなくてはなりません。周辺
には「清国」「ロシア」の2大強国が在り、危機的状況は幕末当時と何ら
変わりません、実際に日清・日露の両戦役が起こり日本にとって初めての
近代を経験します。両戦役の戦費は当然ユダヤ金融からの融資で賄ってい
ます。勝てばその借金は返済できますが、負ければ建国数十年の新国家が
亡くなるだけ。日本が敗けた場合の国民は? まぁ、戦勝国とユダヤ金融資
本の奴隷ですね。運よく日本は清国にもロシアにも勝ち、奴隷となる事だ
けは避けられました。
この、日露戦争。見方を変えるとユダヤ金融資本の市場拡大手法のモデルケ
ースだと言って良いかもしれません。日本に膨大な戦費を貸し与え、日本が
勝とうが敗けようが結果的に帝政ロシアの屋台骨を腐らし帝政ロシア滅亡に
追い込むことがユダヤ金融資本の目的でした。
なぜか?
ソビエト社会主義連邦・ソ連を造るためです。日露開戦前ロシア皇帝のニコ
ライ二世はこう言いました。「予が望まなけらば戦争は無い。」つまり、ニ
コライ二世からすれば、日露間の戦争は考えてはいないが、あるとしたらロ
シアが必要とする時だけだ。とハッキリ言っています。当時の大日本帝国は
ロシア皇帝から見ればそれほど小さく、弱い存在だったということ、それと
開戦に至った経緯は多分に日本側の強い恐怖心から発動された一方的な出来
事のような感じです。そこを、ユダヤ金融資本は上手に根回しをして、日本
の背中を「ドンッ」と押し日露開戦に至った。 目的は?ビジネス・金儲け
の為です。
そうそう、ロシア皇帝・ニコライ二世は皇太子時代に日本を訪問し、彼なり
に日本を知っており大日本帝国と云う国に対し他を交えず自己判断出来てい
ると考えるべきで開戦前の彼の言葉は誇大表現でも増上慢からでもない一国
の皇帝が考える自然な判断だと考えられます。
話をソ連に戻しますと、ソ連は実はユダヤ金融資本「直営」の国なんです。
レーニンの社会主義革命は方便で、その後の世界東西対立を演出するための
舞台装置なんです。ですから、ソ連建国から終焉まで国民はソ連共産党=ユダ
ヤ金資本の奴隷として扱われ、ていました。
1991年最後のソ連指導者ゴルバチョフはユダヤ金融資本からの脱却を成功させ
た英雄でしょう。
長くなりましたので続きは次回のトークで・・・
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