「チャーリーの青空トーク」へようこそ。
こちらは今日もイイ天気! 青空の下で、チャーリーが勝手に語りまーす。
「がんばろうニッポン」 と題された ジャンジャンブログからの記事からです。
以前にも、青空トークで語りましたが「頑張ろう ホニャララ・・・・。」というフレーズ。
これ、チャーリーは大キライなんです。 何んで?というと、マスコミ・新聞・TV・地域社会
場合によっては企業がこれを使うときには、「私も頑張るから、あなたも頑張ってね。」と
ある種の強要が含まれます。
かつて、第二次大戦中の太平洋の各戦地はもちろん、空襲により国内も含めれば3百万人とい
う兵士・民間人が無能な政府の為に、命を落としました。沖縄では民間人にも、戦闘を強要し
ました。 無能な軍・政府は特攻という形で、自国の多くの若者を「軍命」により殺しました。
それから70年以上経ったにも係わらず、未だに同じ過ちが繰り返されているようです。
原発事故を収束出来ない※無能政府・中央官僚、事故を引き起こした東電の過失を
「頑張ろう、東北」 などと云う言葉や 「被災地の為に放射能汚染瓦礫を受け入れる。」
などど、とんでもない事を言い実行に移そうとしているようです。
日本人は好きですよね、「頑張ろう」 とか 「頑張れ!」 がネ・・・。 この言葉には、
「皆の足を引っ張らないように普段以上の努力をし結果を出せ!」 って意味が含まれますよね。
一見この言葉は社会全体のレベルと云うか、「民度」を押し上げる意味では聞こえは良いけど
でもチョット掘り下げて考えると、人を人として扱っていない事になる。(ここ、すっごく重要!)
何故か? というと・・・。
人にはそれぞれ個性が有って、Aさん Bさん Cさん Xさん Yさん Zさん、それぞれみーんな違う。
血が繋がった親子でも兄弟でも、それぞれ別の人。 だから 「頑張ろう ホニャララ。」 と言った
ってCさんは頑張れるけど、Eさんは「オレ、そんなに頑張れないよ。」 ッて言う人が出て来ても当然
です。だって、ミンナ同じじゃないんだから。
で、Eさんが「オレ、そんなに頑張れない。」と言った時の周囲の人の反応が 「何で一緒に頑張れな
いんだ?」「あなたは助け合いの精神が無いのか?」 「社会的協調性に欠ける。」とか、と言って
集団に引き込もうとする。 「赤信号皆で渡れば怖くない。」 的なムードでね。 そう、太平洋戦争
中に政府が戦争遂行の為に使ったプロパガンダ標語と同じ意味
「進め一億火の玉だ!」「その手を緩めば戦力にぶる」 「生めよ増やせよ国の宝」
どの標語も、人を機械かモノとしてしか扱っていない事が解るよね。 昔から日本は国民を機会としか
見ていない。 まぁ、そうじゃなきゃ、人殺し、殺人をする戦争なんて出来ないもんなぁ。
そして、集団に加わらないと今度は徹底的に排除する。 嫌ですねー。 非人間的な横並び社会の構
造が浮かび上がってきます。 自分達と違うモノを排除し差別し、集団ヘまとまる事への安心感を増
幅させ、集団が居心地が良い所と見せかけるのですが、実はその集団は人を人と扱わない、自己を押
し殺し個性を抑えなくては居られない、ヘンな・歪な所なのです。
福島の放射能汚染地域では、驚くことにそのような個人の自由を奪う差別が横行しているようです。
全く、器量の狭い・ケツの穴の小さい社会ですね、日本の社会は。 何故、東洋的な寛大な、懐の深
い広い心で人を見るとか出来ないのでしょうか?
特に地域社会のリーダー・長となる立場の比較的年齢の高い人から、何故か信じられない言葉が発せら
れているようです。
なぜ?一言、「ワシらは残るが、若いものたちは将来が有る、逃げれる所に逃げナ。」 と寛大な広い
心でそういう様にいえないのでしょうか?
いつも日本の社会は、切羽詰ると若者に対し犠牲を強いるんですよね。 それで、リーダーの年寄りドモ
は、責任も取らずに安穏と暮らしている。若者も早くその事に気付いて、この国のリーダー達は国民を守
らない。 だから「自分の人生・大事な命は自分で大切にする事」 を学ばなくてはね。 自主性・主体
性を貫けば、「冗談じゃねー、東電・政府・官僚がやってきたアブねー原発がブチ壊れて、何でオレ等が
放射能に被曝しなくちゃなんねーんだ? オレは逃げるぜ!」 と腹を据えてキッパリ言う勇気・気概を
もつべきなんだよ。
本当に、「生きててナンボ」の時代が来たって事です。 僅かばかりの財産・金・地位なんて糞の役にも
たたない時代です。 それに気付いた人間しか生き残れるない時代が来た。 と云うことかな。
驚くことに、今でも日本の社会には、70年前戦時中に陸軍大臣東条英機が創った「戦陣訓」 が蔓延って
いるようですね。 「生きて虜囚の辱めを受けず」 軍命・政府の方針で「死ね」 と言っているんです。
これが、チャーリーには「頑張ろう ホニャララ・・・・。」「頑張ろう ニッポン」「頑張ろう 東北」
などと云う語とピッタリ重なるんです。 結果、弱いものが排除され、淘汰され、差別を生み、社会構成の
最小単位である、個人(の自主性)が羽毛のように軽く扱われる。
70年経っても成長の無い国です。 失敗してもそこから何も学ばない国です。 ですから、個人がそれぞ
れ賢くなって、主体性を持ち生き方を探さなくてはならないのでしょう。 だって、この地震国に54機の
原発が有り、それを更に進めようとしてますから。
自分の命、家族の命は自分達で守らなくてはなりません。 いつの時代も、国は国民に犠牲を強いようとし
ます。 でも、チャーリーは「冗談じゃねー、んなこと誰がやるか。いやだよーっ!」 っていって、ケツ
をまくります。 自分の為、家族のために。
利己主義? ちがいますよ。 狂った原発推進利権村の連中から、命に関わる不利益を被りたくないだけで
す。
それじゃ、恒例のヤツをイッパツ!
「脱原発」 「原発イランネー」 「原発は原爆だったんだー」
※原発の過酷事故は、人間の力では収束出来ないモノと思っています。
こちらは今日もイイ天気! 青空の下で、チャーリーが勝手に語りまーす。
「がんばろうニッポン」 と題された ジャンジャンブログからの記事からです。
以前にも、青空トークで語りましたが「頑張ろう ホニャララ・・・・。」というフレーズ。
これ、チャーリーは大キライなんです。 何んで?というと、マスコミ・新聞・TV・地域社会
場合によっては企業がこれを使うときには、「私も頑張るから、あなたも頑張ってね。」と
ある種の強要が含まれます。
かつて、第二次大戦中の太平洋の各戦地はもちろん、空襲により国内も含めれば3百万人とい
う兵士・民間人が無能な政府の為に、命を落としました。沖縄では民間人にも、戦闘を強要し
ました。 無能な軍・政府は特攻という形で、自国の多くの若者を「軍命」により殺しました。
それから70年以上経ったにも係わらず、未だに同じ過ちが繰り返されているようです。
原発事故を収束出来ない※無能政府・中央官僚、事故を引き起こした東電の過失を
「頑張ろう、東北」 などと云う言葉や 「被災地の為に放射能汚染瓦礫を受け入れる。」
などど、とんでもない事を言い実行に移そうとしているようです。
日本人は好きですよね、「頑張ろう」 とか 「頑張れ!」 がネ・・・。 この言葉には、
「皆の足を引っ張らないように普段以上の努力をし結果を出せ!」 って意味が含まれますよね。
一見この言葉は社会全体のレベルと云うか、「民度」を押し上げる意味では聞こえは良いけど
でもチョット掘り下げて考えると、人を人として扱っていない事になる。(ここ、すっごく重要!)
何故か? というと・・・。
人にはそれぞれ個性が有って、Aさん Bさん Cさん Xさん Yさん Zさん、それぞれみーんな違う。
血が繋がった親子でも兄弟でも、それぞれ別の人。 だから 「頑張ろう ホニャララ。」 と言った
ってCさんは頑張れるけど、Eさんは「オレ、そんなに頑張れないよ。」 ッて言う人が出て来ても当然
です。だって、ミンナ同じじゃないんだから。
で、Eさんが「オレ、そんなに頑張れない。」と言った時の周囲の人の反応が 「何で一緒に頑張れな
いんだ?」「あなたは助け合いの精神が無いのか?」 「社会的協調性に欠ける。」とか、と言って
集団に引き込もうとする。 「赤信号皆で渡れば怖くない。」 的なムードでね。 そう、太平洋戦争
中に政府が戦争遂行の為に使ったプロパガンダ標語と同じ意味
「進め一億火の玉だ!」「その手を緩めば戦力にぶる」 「生めよ増やせよ国の宝」
どの標語も、人を機械かモノとしてしか扱っていない事が解るよね。 昔から日本は国民を機会としか
見ていない。 まぁ、そうじゃなきゃ、人殺し、殺人をする戦争なんて出来ないもんなぁ。
そして、集団に加わらないと今度は徹底的に排除する。 嫌ですねー。 非人間的な横並び社会の構
造が浮かび上がってきます。 自分達と違うモノを排除し差別し、集団ヘまとまる事への安心感を増
幅させ、集団が居心地が良い所と見せかけるのですが、実はその集団は人を人と扱わない、自己を押
し殺し個性を抑えなくては居られない、ヘンな・歪な所なのです。
福島の放射能汚染地域では、驚くことにそのような個人の自由を奪う差別が横行しているようです。
全く、器量の狭い・ケツの穴の小さい社会ですね、日本の社会は。 何故、東洋的な寛大な、懐の深
い広い心で人を見るとか出来ないのでしょうか?
特に地域社会のリーダー・長となる立場の比較的年齢の高い人から、何故か信じられない言葉が発せら
れているようです。
なぜ?一言、「ワシらは残るが、若いものたちは将来が有る、逃げれる所に逃げナ。」 と寛大な広い
心でそういう様にいえないのでしょうか?
いつも日本の社会は、切羽詰ると若者に対し犠牲を強いるんですよね。 それで、リーダーの年寄りドモ
は、責任も取らずに安穏と暮らしている。若者も早くその事に気付いて、この国のリーダー達は国民を守
らない。 だから「自分の人生・大事な命は自分で大切にする事」 を学ばなくてはね。 自主性・主体
性を貫けば、「冗談じゃねー、東電・政府・官僚がやってきたアブねー原発がブチ壊れて、何でオレ等が
放射能に被曝しなくちゃなんねーんだ? オレは逃げるぜ!」 と腹を据えてキッパリ言う勇気・気概を
もつべきなんだよ。
本当に、「生きててナンボ」の時代が来たって事です。 僅かばかりの財産・金・地位なんて糞の役にも
たたない時代です。 それに気付いた人間しか生き残れるない時代が来た。 と云うことかな。
驚くことに、今でも日本の社会には、70年前戦時中に陸軍大臣東条英機が創った「戦陣訓」 が蔓延って
いるようですね。 「生きて虜囚の辱めを受けず」 軍命・政府の方針で「死ね」 と言っているんです。
これが、チャーリーには「頑張ろう ホニャララ・・・・。」「頑張ろう ニッポン」「頑張ろう 東北」
などと云う語とピッタリ重なるんです。 結果、弱いものが排除され、淘汰され、差別を生み、社会構成の
最小単位である、個人(の自主性)が羽毛のように軽く扱われる。
70年経っても成長の無い国です。 失敗してもそこから何も学ばない国です。 ですから、個人がそれぞ
れ賢くなって、主体性を持ち生き方を探さなくてはならないのでしょう。 だって、この地震国に54機の
原発が有り、それを更に進めようとしてますから。
自分の命、家族の命は自分達で守らなくてはなりません。 いつの時代も、国は国民に犠牲を強いようとし
ます。 でも、チャーリーは「冗談じゃねー、んなこと誰がやるか。いやだよーっ!」 っていって、ケツ
をまくります。 自分の為、家族のために。
利己主義? ちがいますよ。 狂った原発推進利権村の連中から、命に関わる不利益を被りたくないだけで
す。
それじゃ、恒例のヤツをイッパツ!
「脱原発」 「原発イランネー」 「原発は原爆だったんだー」
※原発の過酷事故は、人間の力では収束出来ないモノと思っています。
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