『通小町』(検索キー 竹サポ)
※「:」は、節を表す記号の代用。
【僧の登場】
ワキ「これは八瀬の山里に
一夏(いちげ)を送る僧にて候、
ここにいづくとも知らず
女性(にょしょう)一人(いちにん)、
毎日木の実、爪木(つまぎ)を
持ちて来たり候、
今日も来たりて候はば、
いかなる者ぞと
名を尋ねばやと思ひ候
【僧の登場】
ワキ「これは八瀬の山里に
一夏(いちげ)を送る僧にて候、
ここにいづくとも知らず
女性(にょしょう)一人(いちにん)、
毎日木の実、爪木(つまぎ)を
持ちて来たり候、
今日も来たりて候はば、
いかなる者ぞと
名を尋ねばやと思ひ候
【里女の登場】
ツレ:拾ふ爪木(つまぎ)も
炷物(たきもの)の、
拾ふ爪木も炷物の、
匂はぬ袖ぞ悲しき
ツレ:これは市原野のあたりに
住む女にて候
「さても八瀬の山里に
尊き人のおん入り候ふほどに、
いつも木の実、
爪木(つまぎ)を持ちて参り候、
今日もまた参らばやと思ひ候
ツレ:拾ふ爪木(つまぎ)も
炷物(たきもの)の、
拾ふ爪木も炷物の、
匂はぬ袖ぞ悲しき
ツレ:これは市原野のあたりに
住む女にて候
「さても八瀬の山里に
尊き人のおん入り候ふほどに、
いつも木の実、
爪木(つまぎ)を持ちて参り候、
今日もまた参らばやと思ひ候
【里女、僧の応対】
ツレ「いかに申し候、
またこそ参りて候へ
ワキ「いつも来たれる人か、
今日は木の実の数々、
おん物語り候へ
ツレ:拾ふ木の実は
何々(なになに)ぞ
地:拾ふ木の実は
何々ぞ
ツレ:いにしへ見なれし
車に似たるは、
嵐にもろき落椎(おちじい)
地:歌人の家の木の実には
ツレ:人丸(ひとまる)の
垣穂(かきほ)の柿、
山の辺(やまのべ)の
笹栗(ささぐり)
地:窓の梅
ツレ:園の桃
地:花の名にある桜麻(さくらあさ)の、
苧生の浦(おおのうら)
梨(なし)なほもあり、
櫟(いちい)香椎(かしい)
真手葉椎(まてばしい)、
大小(だいしょう)柑子(かんじ)、
金柑(きんかん)、
あはれ昔の恋しきは、
花橘(はなたちばな)の
一枝(ひとえだ)、
花橘の一枝
ツレ「いかに申し候、
またこそ参りて候へ
ワキ「いつも来たれる人か、
今日は木の実の数々、
おん物語り候へ
ツレ:拾ふ木の実は
何々(なになに)ぞ
地:拾ふ木の実は
何々ぞ
ツレ:いにしへ見なれし
車に似たるは、
嵐にもろき落椎(おちじい)
地:歌人の家の木の実には
ツレ:人丸(ひとまる)の
垣穂(かきほ)の柿、
山の辺(やまのべ)の
笹栗(ささぐり)
地:窓の梅
ツレ:園の桃
地:花の名にある桜麻(さくらあさ)の、
苧生の浦(おおのうら)
梨(なし)なほもあり、
櫟(いちい)香椎(かしい)
真手葉椎(まてばしい)、
大小(だいしょう)柑子(かんじ)、
金柑(きんかん)、
あはれ昔の恋しきは、
花橘(はなたちばな)の
一枝(ひとえだ)、
花橘の一枝
【里女の中入】
ワキ「木の実の数々は承はりぬ、
さてさておん身は
いかなる人ぞ、
名をおん名乗り候へ
ツレ:恥づかしやおのが名を
地:小野とは言はじ、
薄(すすき)生(お)ひたる
市原野辺(のべ)に
住む姥(うば)ぞ、
跡弔(と)ひたまへお僧とて、
かき消すやうに失せにけり、
かき消すやうに失せにけり
ワキ「木の実の数々は承はりぬ、
さてさておん身は
いかなる人ぞ、
名をおん名乗り候へ
ツレ:恥づかしやおのが名を
地:小野とは言はじ、
薄(すすき)生(お)ひたる
市原野辺(のべ)に
住む姥(うば)ぞ、
跡弔(と)ひたまへお僧とて、
かき消すやうに失せにけり、
かき消すやうに失せにけり
【僧の独白】
ワキ「かかる不思議なることこそ
候はね、
ただいまの女の名を
くはしく尋ねて候へば、
小野とは言はじ、
薄生ひたる市原野辺に
住む姥ぞと申し、
かき消すやうに失せて候、
ここに思ひ合はすることの候、
ある人市原野を通りしに、
薄一叢(ひとむら)生ひたる
蔭よりも
:秋風の、
吹くにつけても
あなめあなめ
「小野とは言はじ、
薄生ひけりとあり、
これ小野の小町の歌なり、
さては疑ふところもなく、
ただいまの女性は
小野の小町の幽霊と
思ひ候ふほどに、
かの市原野に行き、
小町の跡を
弔はばやと思ひ候
ワキ「かかる不思議なることこそ
候はね、
ただいまの女の名を
くはしく尋ねて候へば、
小野とは言はじ、
薄生ひたる市原野辺に
住む姥ぞと申し、
かき消すやうに失せて候、
ここに思ひ合はすることの候、
ある人市原野を通りしに、
薄一叢(ひとむら)生ひたる
蔭よりも
:秋風の、
吹くにつけても
あなめあなめ
「小野とは言はじ、
薄生ひけりとあり、
これ小野の小町の歌なり、
さては疑ふところもなく、
ただいまの女性は
小野の小町の幽霊と
思ひ候ふほどに、
かの市原野に行き、
小町の跡を
弔はばやと思ひ候
【僧の待受】
ワキ:この草庵を立ち出でて、
この草庵を立ち出でて、
なほ草深く露しげき、
市原野辺に尋ね行き、
座具(ざぐ)をのべ香を焚き
ワキ:南無幽霊
成等(じょうとう)正覚、
出離(しゅつり)生死(しょうじ)
頓証(とんしょう)菩提
ワキ:この草庵を立ち出でて、
この草庵を立ち出でて、
なほ草深く露しげき、
市原野辺に尋ね行き、
座具(ざぐ)をのべ香を焚き
ワキ:南無幽霊
成等(じょうとう)正覚、
出離(しゅつり)生死(しょうじ)
頓証(とんしょう)菩提
【小町、少将の応対】
ツレ:嬉しのお僧の弔ひやな、
同じくは戒(かい)授けたまへ
お僧
シテ:いや叶ふまじ、
戒授けたまはば
うらみ申すべし、
はや帰りたまへ
お僧
ツレ:こはいかに、
たまたまかかる
法(のり)に遇えば、
なほその苦患(くげん)を
見せんとや
シテ:二人(ふたり)見るだに
悲しきに、
おん身一人(いちにん)
仏道成らば
わが思ひ、
重きが上の
小夜衣(さよごろも)、
かさねて憂き目を
三瀬川(みつせがわ)に、
沈み果てなばお僧の、
授けたまへる
かひもあるまじ、
はや帰りたまへや、
お僧たち
地:なほもその身は迷ふとも、
なほもその身は迷ふとも、
戒力(かいりき)に引かれば、
などか仏道成らざらん、
ただともに戒を
受けたまへ
ツレ:人の心は白雲の、
われは曇らじ心の月、
出でてお僧に弔はれんと、
薄(すすき)押し分け
出でければ
シテ:包めどわれも穂に出でて、
包めどわれも穂に出でて、
尾花(おばな)招かば
止まれかし
ツレ:思ひは山の鹿(かせき)にて、
招くとさらに
止まるまじ
シテ:さらば煩悩の犬となって、
打たるると離れじ
ツレ:恐ろしの姿や
シテ:袂(たもと)を取って
引き止むる
ツレ:引かかる袖も
シテ:ひかふる
地:わが袂も、
ともに涙の露、
深草の少将
ツレ:嬉しのお僧の弔ひやな、
同じくは戒(かい)授けたまへ
お僧
シテ:いや叶ふまじ、
戒授けたまはば
うらみ申すべし、
はや帰りたまへ
お僧
ツレ:こはいかに、
たまたまかかる
法(のり)に遇えば、
なほその苦患(くげん)を
見せんとや
シテ:二人(ふたり)見るだに
悲しきに、
おん身一人(いちにん)
仏道成らば
わが思ひ、
重きが上の
小夜衣(さよごろも)、
かさねて憂き目を
三瀬川(みつせがわ)に、
沈み果てなばお僧の、
授けたまへる
かひもあるまじ、
はや帰りたまへや、
お僧たち
地:なほもその身は迷ふとも、
なほもその身は迷ふとも、
戒力(かいりき)に引かれば、
などか仏道成らざらん、
ただともに戒を
受けたまへ
ツレ:人の心は白雲の、
われは曇らじ心の月、
出でてお僧に弔はれんと、
薄(すすき)押し分け
出でければ
シテ:包めどわれも穂に出でて、
包めどわれも穂に出でて、
尾花(おばな)招かば
止まれかし
ツレ:思ひは山の鹿(かせき)にて、
招くとさらに
止まるまじ
シテ:さらば煩悩の犬となって、
打たるると離れじ
ツレ:恐ろしの姿や
シテ:袂(たもと)を取って
引き止むる
ツレ:引かかる袖も
シテ:ひかふる
地:わが袂も、
ともに涙の露、
深草の少将
【小町、少将の物語】
ワキ:さては小野の小町、
四位(しい)の少将にて
ましますかや、
とてものことに
車の榻(しじ)に、
百夜(ももよ)通ひし所を
学(まの)うでおん見せ候へ
ツレ:もとよりわれは白雲も、
かかる迷ひのありけるとは
シテ:思ひも寄らぬ
車の榻(しじ)に、
百夜(ももよ)通へと偽りしを
:まことと思ひ
「暁ごとに忍び
車の榻に行けば
ツレ:車の物見もつつましや、
姿を変へよと言ひしかば
シテ「輿車(こしくるま)は
言ふにおよばず
ツレ:いつか思ひは
地:山城(やましろ)の
木幡(こはた)の里に
馬はあれども
シテ:君を思へば
徒歩(かち)跣足(はだし)
ツレ:さてその姿は
シテ:笠に蓑(みの)
ツレ:身の憂き世とや竹の杖
シテ:月には行くも暗からず
ツレ「さて雪には
シテ「袖をうち払い
ツレ:さて雨の夜(よ)は
シテ:目に見えぬ
「鬼一口も恐ろしや
ツレ:たまたま曇らぬ時だにも
シテ:身一人(ひとり)に降る涙の雨か
《立廻り》
シテ:あら暗(くら)の夜(よ)や
ツレ:夕暮れは、
ひとかたならぬ思ひかな
シテ:夕暮れは何と
地:ひとかたならぬ、思ひかな
シテ:月は待つらん月をば待つらん、
われをば待たじ、虚言(そらごと)や
地:暁は、暁は、数々多き、思ひかな
シテ:わがためならば
地:鳥もよし鳴け、
鐘もただ鳴れ、
夜(よ)も明けよ、
ただ独り寝ならば、辛からじ
ワキ:さては小野の小町、
四位(しい)の少将にて
ましますかや、
とてものことに
車の榻(しじ)に、
百夜(ももよ)通ひし所を
学(まの)うでおん見せ候へ
ツレ:もとよりわれは白雲も、
かかる迷ひのありけるとは
シテ:思ひも寄らぬ
車の榻(しじ)に、
百夜(ももよ)通へと偽りしを
:まことと思ひ
「暁ごとに忍び
車の榻に行けば
ツレ:車の物見もつつましや、
姿を変へよと言ひしかば
シテ「輿車(こしくるま)は
言ふにおよばず
ツレ:いつか思ひは
地:山城(やましろ)の
木幡(こはた)の里に
馬はあれども
シテ:君を思へば
徒歩(かち)跣足(はだし)
ツレ:さてその姿は
シテ:笠に蓑(みの)
ツレ:身の憂き世とや竹の杖
シテ:月には行くも暗からず
ツレ「さて雪には
シテ「袖をうち払い
ツレ:さて雨の夜(よ)は
シテ:目に見えぬ
「鬼一口も恐ろしや
ツレ:たまたま曇らぬ時だにも
シテ:身一人(ひとり)に降る涙の雨か
《立廻り》
シテ:あら暗(くら)の夜(よ)や
ツレ:夕暮れは、
ひとかたならぬ思ひかな
シテ:夕暮れは何と
地:ひとかたならぬ、思ひかな
シテ:月は待つらん月をば待つらん、
われをば待たじ、虚言(そらごと)や
地:暁は、暁は、数々多き、思ひかな
シテ:わがためならば
地:鳥もよし鳴け、
鐘もただ鳴れ、
夜(よ)も明けよ、
ただ独り寝ならば、辛からじ
【終曲】
シテ:かやうに心を、
尽くし尽くして
地:かやうに心を、
尽くし尽くして、榻(しじ)の数々、
よみて見たれば、
九十九夜(くじゅうくよ)なり、
いまは一夜(ひとよ)よ、
嬉しやとて、待つ日になりぬ、
急ぎて行かん、姿はいかに
シテ:笠も見苦し
地:風折(かざおり)烏帽子
シテ:蓑をも脱ぎ捨て
地:花摺衣(はなすりごろも)の
シテ:藤袴(ふじばかま)
地:待つらんものを
シテ:あら忙しや、すははや今日も
地:紅(くれない)の狩衣(かりぎぬ)の、
衣紋(えもん)けたかく
引きつくろひ、
飲酒(おんじゅ)はいかに、
月の盃なりとても、
戒(いまし)めならば保たんと、
ただ一念の悟りにて、
多くの罪を滅して、
小野の小町も少将も、
ともに仏道成りにけり、
ともに仏道成りにけり
シテ:かやうに心を、
尽くし尽くして
地:かやうに心を、
尽くし尽くして、榻(しじ)の数々、
よみて見たれば、
九十九夜(くじゅうくよ)なり、
いまは一夜(ひとよ)よ、
嬉しやとて、待つ日になりぬ、
急ぎて行かん、姿はいかに
シテ:笠も見苦し
地:風折(かざおり)烏帽子
シテ:蓑をも脱ぎ捨て
地:花摺衣(はなすりごろも)の
シテ:藤袴(ふじばかま)
地:待つらんものを
シテ:あら忙しや、すははや今日も
地:紅(くれない)の狩衣(かりぎぬ)の、
衣紋(えもん)けたかく
引きつくろひ、
飲酒(おんじゅ)はいかに、
月の盃なりとても、
戒(いまし)めならば保たんと、
ただ一念の悟りにて、
多くの罪を滅して、
小野の小町も少将も、
ともに仏道成りにけり、
ともに仏道成りにけり
※『能楽名作選 上巻』より(本書は観世流を採用)