能を観るなら

主に謡曲の詞章を、紹介していきます。
テレビの字幕のようにご利用ください。

葵上

2020-05-12 15:14:07 | 詞章
『葵上』 Bingにて 葵上 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。
※[]は、ここでの読みがな、その他の補足。

【朝臣の登場】
ワキヅレ「これは朱雀院(しゅじゃくいん)に
  仕へたてまつる臣下(しんか)なり、
  さても左大臣のおん息女、
  葵の上のおん物(もの)の怪(け)、
  もってのほかに御座候ふほどに、
  貴僧高僧を請じ申され、
  大法(だいほう)秘法医療さまざまの、
  おんことにて候へども、
  さらにその験(しるし)なし、
  ここに照日の巫女とて
  隠れなき梓(あずさ)の上手の
  候ふを召して、
  生霊(いきりょう)死霊(しりょう)の
  あひだを、
  梓に掛けさせ申せとの
  おんことにて候ふほどに、
  このよし申しつけばやと存じ候、
  やがて梓におん掛け候へ

【照日の巫女の呪文】
ツレ:天清浄(しょうじょう)
  地(じ)清浄(しょうじょう)、
  内外(ないげ)清浄(しょうじょう)
  六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)
ツレ:寄り人は、
  いまぞ寄りくる長浜の、
  蘆毛(あしげ)の駒に、
  手綱(たづな)揺りかけ

【六条御息所の登場】
シテ:三つの車に法(のり)の道、
  火宅の門(かど)をや出でぬらん、
  夕顔の宿(やど)の破れ車(ぐるま)、
  やる方なきこそ悲しけれ
シテ:憂き世は牛の小車(おぐるま)の、
  憂き世は牛の小車の、
  廻るや報ひなるらん
シテ:およそ輪廻(りんね)は
  車の輪のごとく、
  六趣(ろくしゅ)四生(ししょう)を
  出でやらず、
  人間の不定(ふじょう)芭蕉
  泡沫(ほうまつ)の世のならひ、
  昨日の花は今日の夢と、
  驚かぬこそ愚かなれ、
  身の憂きに人の恨みのなほ添ひて、
  忘れもやらぬわが思ひ、
  せめてやしばし慰むと、
  梓の弓に怨霊の、
  これまで現はれ出でたるなり
シテ:あら恥づかしやいまとても、
  忍び車のわが姿
シテ:月をば眺め明かすとも、
  月をば眺め明かすとも、
  月には見えじかげろふの、
  梓の弓の末弭(うらはず)に、
  立ち寄り憂きを語らん、
  立ち寄り憂きを語らん

【御息所の独白、巫女と朝臣の応対】
シテ:梓の弓の音はいづくぞ、
  梓の弓の音はいづくぞ
ツレ:東屋(あずまや)の、
  母屋(もや)の妻戸(つまど)に
  居たれども
シテ:姿なければ、問ふ人もなし
ツレ:不思議やな、
  誰(たれ)とも見えぬ
  上臈(じょうろう)の、
  破(やぶ)れ車(ぐるま)に
  召されたるに、
  青女房(あおにょうぼう)と
  思(おぼ)しき人の、
  牛もなき車の轅(ながえ)に取りつき、
  さめざめと泣きたまふいたはしさよ
ツレ「もしかやうの人にてもや候ふらん
ワキヅレ「大方は推量申して候、
  ただ包まず名をおん名乗り候へ

【御息所の述懐】
シテ:それ娑婆(しゃば)
  電光(でんこう)の境には、
  恨むべき人もなく、
  悲しむべき身もあらざるに、
  いつさて浮かれそめつらん
シテ:ただいま梓の弓の音に、
  引かれて現はれ出でたるをば、
  いかなる者とか思し召す、
  これは六条の御息所の怨霊なり、
  われ世にありしいにしへは、
  雲上(うんしょう)の花の宴、
  春の朝(あした)の
  御遊(ぎょいう)に慣れ、
  仙洞(せんとう)の紅葉(もみじ)の
  秋の夜は、
  月に戯れ色香に染(そ)み、
  花やかなりし身なれども、
  衰へぬれば朝顔の、
  日影待つ間(ま)のありさまなり、
  ただいつとなきわが心、
  もの憂き野辺の早蕨(さわらび)の、
  萌え出でそめし思ひの露、
  かかる恨みを晴らさんとて、
  これまで現はれ出でたるなり
地:思ひ知らずや世の中の、
  情けは人のためならず
地:われ人のためつらければ、
  われ人のためつらければ、
  必ず身にも報ふなり、
  何を歎くぞ葛(くず)の葉の、
  恨みはさらに尽きすまじ、
  恨みはさらに尽きすまじ

【御息所の立働き】
シテ:あら恨めしや
  「いまは打たでは叶ひ候ふまじ
ツレ:あらあさましや六条の、
  御息所(みやすどころ)ほどのおん身にて、
  後妻(うわなり)打(う)ちのおんふるまひ、
  いかでさることの候ふべき、
  ただ思し召し止まりたまへ
シテ「いやいかに言ふとも、
  いまは打たでは叶ふまじと、
  枕に立ち寄りちやうと打てば
ツレ:この上はとて立ち寄りて、
  わらはは後(あと)にて苦を見する
シテ:いまの恨みはありし報ひ
ツレ:瞋恚(しんに)の炎(ほむら)は
シテ:身を焦がす
ツレ:思ひ知らずや
シテ:思ひ知れ
地:恨めしの心や、
  あら恨めしの心や、
  人の恨みの深くして、
  憂き音(ね)に泣かせたまふとも、
  生きてこの世にましまさば、
  水暗き、
  沢辺の蛍の影よりも、
  光る君(きみ)とぞ契らん
シテ:わらはは蓬生(よもぎう)の
地:もとあらざらし身となりて、
  葉末(はずえ)の露と消えもせば、
  それさへことに恨めしや、
  夢にだに、
  返らぬものをわが契り、
  昔語りになりぬれば、
  なほも思ひは真澄鏡(ますかがみ)、
  その面影も恥づかしや、
  枕に立てる破(や)れ車、
  うち乗せ隠れ行かうよ、
  うち乗せ隠れ行かうよ

《物着》

【小聖の登場】
ワキヅレ「いかに誰(たれ)かある
アイ「おん前に候
ワキヅレ「葵の上のおん物の怪、
  いよいよもってのほかに
  御座候ふほどに、
  横川(よかわ)の小聖(こひじり)を
  請じて来たり候へ
アイ「かしこまって候、
  さてもさても葵上のおん物の怪、
  一段のことと承はり候ふところに、
  もってのほかなるよし
  仰せ出だされて候、
  それにつき横川へ参り、
  小聖を請じて来たれとの
  おんことにて候、
  急いで参らばやと存ずる
    いかにこの内へ案内申し候
ワキ:九識(くしき)の窓の前、
  十乗(じうじょう)の床(ゆか)の
  ほとりに、
  瑜伽(ゆが)の法水(ほっすい)を
  たたへ
  「三密(さんみつ)の月を
  澄ますところに、
  案内(あんない)申さんとは
  いかなる者ぞ
アイ「大臣(おとど)よりの
  おん使に参りて候、
  葵上のおん物の怪
  もってのほかに御座候ふあひだ、
  急いでおん出であって
  加持(かじ)してたまはれとの
  おん使にて候
ワキ「このあひだは
  別行(べつぎょう)の子細あって、
  いづかたへもまかり出でず候へども、
  大臣よりの
  おん使と候(ぞうろ)ふほどに、
  やがて参らうずるにて候
アイ「さあらばお先へ参ろうずるにて候

【朝臣、小聖の応対】
アイ「いかに申し候、
  小聖を請じて参りて候
ワキヅレ「ただいまの
  おん出でご大儀にて候
ワキ「承はり候、
  さて病人はいづくに御座候ふぞ
ワキヅレ「あれなる大床(おおゆか)に
  御座候
ワキ「さらばやがて加持(かじ)し
  申さうずるにて候
ワキヅレ「もっともにて候

【小聖、御息所の立働き】
ワキ:行者は加持に参らんと、
  役(えん)の行者(ぎょうじゃ)の
  跡を継ぎ、
  胎金(たいこん)両部(りょうぶ)の
  峰を分け、
  七宝(しっぽう)の露を払ひし
  篠懸(すずかけ)に
  「不浄を隔つる
  忍辱(にんにく)の袈裟(けさ)、
  赤木(あかぎ)の数珠(じゅず)の
  いらたかを、
  さらりさらりと押し揉んで
  :一祈(ひといの)りこそ祈ったれ、
  なまくさまんだばさらだ

《祈り》

【小聖、御息所の立働き】
シテ:いかに行者
  はや帰りたまへ、
  帰らで不覚したまふなよ
ワキ:たとひいかなる悪霊なりとも、
  行者の法力(ほうりき)
  尽くべきかと、
  かさねて数珠を押し揉んで
地:東方(とうほう)に
  降三世(ごうざんぜ)明王(みょうおう)
シテ:南方(なんぽう)
  軍荼利(ぐんだり)夜叉(やしゃ)
地:西方大威徳(だいいとく)
  明王(みょうおう)
シテ:北方金剛(こんごう)
地:夜叉明王
シテ:中央大聖(だいしょう)
地:不動明王、
  なまくさまんだばさらだ、
  せんだまかろしやな、
  そわたやうんたらたかんまん、
  聴我(ちょうが)説者(せっしゃ)
  得大智慧(とくだいちえ)、
  知我(ちが)心者(しんしゃ)
  即身成仏(そくしんじょうぶつ)
シテ:あらあら恐ろしの、
  般若声(はんにゃごえ)や、
  [地:]これまでぞ怨霊、
  こののちまたも来たるまじ

【終曲】
地:読誦(どくじゅ)の声を聞くときは、
  読誦の声を聞くときは、
  悪鬼(あっき)心を和らげ、
  忍辱(にんにく)慈悲(じひ)の姿にて、
  菩薩もここに来迎(らいこう)す、
  成仏(じょうぶつ)得脱(とくだつ)の、
  身となり行くぞありがたき、
  身となり行くぞありがたき

※出典『能を読むⅠ』(本書は観世流を採用)



コメントを投稿