2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を機に、そして更に今年2023年10月のハマスのイスラエル奇襲以降、連日連夜テレビニュース等が、都市や町がミサイルや空爆で破壊され続けていることを報道しています。戦火の中を逃げ惑う悲運な人々の映像を見ています。
ちょうど今、NHK朝ドラ「ブギウギ」が放送されていますが、今日の放送(12/5)は主人公スズ子が弟・六郎の戦死の知らせを受け悲しんでいる中で、太平洋戦争の開戦(1941/12/8)を伝える回でした。視聴者である私たちは、その戦争がどれだけ悲惨なものだったことを学校等で学んでいます。戦争末期、軍事力で圧倒的に優位な米軍による日本本土空襲は、軍事基地のみならず工業地帯や工場・港湾施設に始まり、更には大都市・地方都市への無差別空爆に拡大し、そして最終的には広島・長崎への原爆投下につながった歴史です。これらの歴史が、どうしても今、テレビ等で放送されているウクライナやパレスチナの映像とかぶってしまうのです。
筆者は東京に約45年間住んでいますが、その昔秋田市立土崎中学校で学びました。「土崎」(つちざき)は、米軍の「日本で最後の空襲」の地として歴史に刻まれています。1945年8月14日夜から翌朝まで、グアム島を出発したB29約130機による空爆が行われ、日本石油秋田製油所や周辺の民家等が空爆され250名以上が死亡したと記録されています。筆者は2022年4月に秋田・青森を旅行した時に、焼け残ったその製油所の柱と梁が移築され、中世以来港町と発展してきた土崎の歴史の1ページとして、資料とともに展示されている「土崎みなと歴史伝承館」を訪れています。1日も早くウクライナやパレスチナの“最後の空襲”が、彼らの歴史伝承館の展示物の一つとなるよう願うしかありません。
◆写真①土崎港のポートタワーセリオンから人口約30万人の秋田市中心部方向を撮影。↓
翻って、今年筆者は、会津若松市、金沢市、富山市、岐阜県高山市、直近では白川郷を訪問しています。いずれも歴史と伝統のある街並みや風情・文化が色濃く残る観光都市です。インバウンドの外国人観光客にも人気です。共通していることは、第二次世界大戦の空襲を免れたことです。京都や奈良等と同じようにです。
◆写真②歴史と伝統の金沢文化を象徴する「ひがし茶屋街」。↓
◆写真③赤瓦が美しい会津若松のシンボル「鶴ヶ城」の天守閣。↓
連日連夜のウクライナやパレスチナの映像を通じて、人々の肉体を含めて形あるもの全てを破壊してしまう戦争の恐ろしさ、悲しさを目の当たりにしています。今思うことは、戦争回避こそが、人々が築き上げてきた歴史と伝統の文化遺産を守り継ぐということです。そして、もし仮にいつかどこかで形あるものが破壊されることが現実となっても、より強く反戦の思いを、次の、そして未来の世代へと受け継いでいかなければいけないと考えさせられています。
以上
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