奥山舎 オウザンシャ

寺内はキリスト教とCharles Dickensの独立研究者。専門分野だけでなく広く社会問題に関心があります。

続・ユダヤとイスラム

2025年02月13日 | 日記
イスラエル国
 イスラエル国は1945年に独立宣言を発した。この国の面積は日本の四国程度で、その中に1967年、同国が第三次中東戦争を経て併合した東エルサレムとゴラン高原が含まれる。だが、その「併合」は、日本を含め国際社会の大多数は承認していない(「外務省」)。併合前、東エルサレムはヨルダン領、ゴラン高原はシリア領であった。
 ヨルダン川西岸地区は1967年の戦争でイスラエルが占領したが、現在、同地区はイスラエル軍とパレスチナ政府によって統治されている。これらの地域におけるイスラエルの入植活動は国際法違反とされている。ヨルダン川西岸地区の住民の総人口は約380万人(2020年時点)、内訳はパレスチナ人が約309万人(81.2%)、ユダヤ人入植者が約71万人(18.8%)である(「ヨルダン川西岸地区」)。
 イスラエル国の民族構成をいえば、ユダヤ人(約73%)、アラブ人(約21%)、その他(約6%)であり、宗教は、ユダヤ教(約74%)、イスラム教(約18%)、キリスト教(約2%)、ドルーズ(約1.6%)である(出典:「外務省」)。この史料から言えることは、イスラエル国の人口の大部分はユダヤ人であり、ユダヤ教の信徒である。 

 トランプ政権、「併合」を支持
 第1次トランプ米政権は2019年に単独で上記イスラエルの「併合」を認める宣言を出した。この宣言ゆえに、第2次トランプ政権が2015年1月に誕生したとき、イスラエルは歓迎の意思表示をしている。
 
 ユダヤ教の聖典がキリスト教の「旧訳聖書」
ユダヤ教の聖典はヘブライ(ヘブル)語で書かれた、キリスト教でいう「旧訳聖書」である。ユダヤ教では「旧約聖書」とはいわず、「律法(トーラー)」、「預言者(ネビイーム)」などという(「旧約聖書」)。

 「律法」の中の狭量、冷酷、不寛容、排他的記述
 旧約聖書で「律法(the Law)」というとき、最初の5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を指し、これを「モーセ五書(the Law of Moses)」、「ペンタチューク(the Pentateuch)」、「トーラー(Torah)」などともいう(寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」13頁)。
 これらの5書のうち、「律法」という用語は、創世記と出エジプト記には現れず、レビ記と民数記に各1回、申命記に19回現れる。
 申命記は、モーセがエジプト脱出後の「第四十年の第十一の月の一日」に「ヨルダン川の東側にあるモアブ地方」で「イスラエルの人々」に「律法」を「説き明か」したという形をとっている(申1・1-5)。申命記でモーセいわく、

「わたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。(申4・8)/ レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。(申17・18-9)/ この律法の言葉を守り行わない者は呪われる。 (申27・26)」

申命記(文中の太字は筆者)
 モーセは同胞を律法に縛りつけている。律法の中には、人々が安全に社会生活を営むのに不可欠な掟、すなわち十戒(出20・3-17;申5・6-21)、「人道的律法」(出22・20-6)、「人道上の規定」(申24・5-22)が含まれるが、その内容は概してイスラエル至上主義であり、異民族の存在を許さない。モーセいわく、

「あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。」(申7・1-5)   

申命記
 上記引用文中の「七つの民」とはカナンの住民・カナン人(現パレスチナ人)である。「神」、つまり「イスラエルの神」(出5・1、 et al. )はこれらの先住民を「追い払い」、「必ず滅ぼし尽く」せと命じている。イスラエルの神は実に狭量、冷酷、不寛容、排他的である。そうでありながら、その神は、創世記で天地万物創造の「全能の神」(創17・1)とされ、その神がアブラム(のち「アブラハム」と改名)に「あなたの子孫にこの土地」、すなわち「カナン」(現パレスチナ)を「与える」と(創12・7)。さらにその神は、イスラエル人を「わが民イスラエルの人々」(出3・10、 et al.)と呼ぶ一方、民族の祖とされるアブラハムを始め後代のイスラエル人は「わが神」と仰ぐ(創15・2、 et al.)。
 上述の神の指示「追い払え」「滅ぼし尽くせ」は、「七つの民」から見れば、侵略であり、酷薄かつ暴虐的である。のちに「主」はカナン攻略に関わり、「全軍隊を引き連れてアイに攻め上」れ、「アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。エリコとその王にしたように、アイとその王にし」、「分捕り物と家畜は自分たちのために奪い取ってもよい。」(ヨシュ8・1-2)。じつに、イスラエルの神は異民族の殺戮を命じ、異民族の所有物の強奪を奨励する。この神はユダヤの守護神、民族神であって全能神ではない(寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」30、43、75、173頁)
 
 キリスト教
   ―その発生と「律法」廃棄
 キリスト教がユダヤ教の分派として発生するのはイエス磔刑死の直後、紀元後30年ごろである。イエスもペテロもユダヤ教徒なのだ。イエス死後、イエスの弟子たちはエルサレム神殿に日参しながら原始教会(初代教会)を立ち上げた。そして紀元48年ごろ、回心を経てキリスト教徒に転生したパウロと共に、イエスの弟子たちはエルサレムで教会会議を開き、律法廃棄を決議し、割礼の廃止も決め、「神」の前での平等を説く(出典:寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」12、25、27-29頁)。

 キリスト教は「律法」を含む「旧約聖書」を正典と決定
 上述のように、初代教会は律法を廃棄した。だが、のちに次の経緯で律法を含む「旧約聖書」を正典と決定する。
 彼らはユダヤ戦争(66-70年)勃発前、迫害を避けて地中海世界へ移動する。そして90年頃と118年頃、エルサレム西方のヤムニア(ヤブネ)で2回の会議を経て、ユダヤ教のヘブライ語聖書を、「旧約聖書」(創世記からマラキ書までの39文書)と名づけて正典と決定する(出典:寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」124、221-222頁)。
 言うまでもなく、キリスト教の正典は「旧約聖書」と「新約聖書」(4福音書とパウロ書簡など27文書を含む)からなる。「新約聖書」、すなわちギリシア語(コイネー)で書かれた4福音書とパウロ書簡など27文書からなる新約聖書が成立するのは「紀元1世紀中ごろから2世紀中ごろに及ぶ約100年の間」である(出典:寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」268頁)。

 「パレスチナ・イスラエル戦争」の発端
 2023年10月発生のパレスチナ・イスラエル戦争は、ガザ地区を支配するイスラム主義組織のハマスによる奇襲で始まった。ハマスはイスラエル領内に数千発のロケット弾を撃ち込むとともに、ガザ地区近隣のイスラエル南部各軍事施設に向けて戦闘員を侵入させ、民間人を含む1139人(約1200人とも)のイスラエル人を殺傷した。そのうえ、女性、子ども、乳児、高齢者を含む240人をガザ地区に拉致した(ウィキペディア「2023年パレスチナ・イスラエル戦争」)。
 ハマスとイスラエルの衝突の根は遥か遥か昔に遡る
 ハマスとイスラエルの衝突は、その根を掘り下げれば、遊牧民時代のモーセ(前1270年頃の人)とモーセの後継者ヨシュア(民27・12-23;申31・1-8)の時代に遡る。
 既述のように、申命記は、モーセがエジプト脱出後の「第四十年の第十一の月の一日」に「ヨルダン川の東側にあるモアブ地方」で「イスラエルの人々」に「律法」を「説き明か」したという形をとっているが、申命記は
モーセ時代の作ではなく、「前七世紀」の成立とされる(『聖書 原文校訂による口語訳』(フランシスコ会聖書研究所訳注、359頁)(他の史料も同見解)。遊牧時代も申命記成立時代も、遥か昔、遠い遠い遠い昔のことだ。

 平和共存共栄の時代の創出を
 われわれは今、宇宙へ人間が飛び出す時代に生きている。遥か昔に遡る、古代人の思想から脱却すべきであろう。人間みなきょうだいという観点に立ち、平和共存共栄の新しい時代を創出すべきである。そうでなければ永遠に戦い続けなけらればならない。親、子、きょうだい、隣人、みな仲良く、穏やかに生きようではないか。

 ユダヤ教徒のイエスは平和を説いた
 イエスはエッセネ派かその近辺にいたユダヤ教徒であった。彼は平和を説いている。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタ5・9並行)。イエスは弟子12人にも「平和」を実践させている。すなわち、彼らが宣教活動で、他者の家に迎え入れられれば、「『平和があるように』と挨拶しなさい。」(マタ10・12)

 イエスは他の所でも「平和」を次のように強調する。

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マコ9・50) /  エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの〇 日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。(ルカ19・41-2) / (復活のイエスが弟子たちに)「『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(ルカ24・36並行) / これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハ14・27) /  わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 」(ヨハ16・33)(出典:寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」214頁)


 ユダヤ教徒パウロも回心して平和と説いた
 パウロ(サウロ)は「生まれながらのファリサイ派」(使23・6)で、熱心なユダヤ教徒であった。だがイエス死後の32/4年ごろ、彼はイエスの声に打たれて回心し、イエスをメシアと仰ぎ、異邦人宣教に従事したあと、64年ごろ死亡する。その間に彼は少なくとも7通の書簡を著し、「平和」を強調する。以下に「ローマの信徒への手紙」における「平和」への言及を掲げる。

「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(ロマ1・7) /  すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。(ロマ2・10) /  では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。[・・・]彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。(ロマ3・9-18) / できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。(ロマ12・18) / 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。(ロマ14・17) /  このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。(ロマ14・18-9) / 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ロマ15・33)」(出典:寺内孝著「キリスト教の発生 イエスを超え、モーセを超え、神をも超えて」214頁)

以上の諸例から、パウロがイエスの「平和」の使信を受け継いだことが理解される。

 戦うべき敵は貧困と疫病だ
 さあ、みな武器を捨てよう。平穏に暮らし笑顔の日々を生きようではないか。われわれが戦うべき敵は貧困と疫病である。



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