【アカは家族に行き先も告げず、長い長い放浪の旅に出ていました】
と言えば聞こえが良いのですが、ただ単に自分の縄張りを広げようとしていたのか、
または、他の縄張りに可愛い子を見つけ、無謀にも駆け落ちを試みたけど、
そこのボスに見つかりボコボコにやり込められ、命からがら逃げ帰って来たのか・・・
色々想像は出来ますが、本人は自分のメンツにかかわる事なので最後まで決して
口にはしませんでした。
****************************
アカが姿を消して既に一か月が過ぎていました。
家族は総出であちこち探し回りましたが見つからず、母と祖母は畑仕事の合間をぬって、
だれか見かけた人はいないかと隣町まで足をのばし訪ね回っていました。
わたしは中学生でしたので、同級生や友達、そのまた友達にアカの特徴を伝え、
もし見かけたらすぐに知らせてほしいと頼みまわっておりました。
父は仕事が終わると、家には帰らずそのままバイクを走らせ10キロ四方を
毎日探してまわっておりました。
アカは父が会社の同僚から譲り受けたネコだったのです。
*************************
アカを初めて目にした時の光景は今でも懐かしく思い出されます。
帰宅した父のジャンバーの中には、ふぁふぁとした小さな小さな子猫が入ってました。
バイクで帰宅する為、寒くないようにとタオルにくるみ、父はジャンバーの懐に
入れて帰って来たのです。
父の胸元から顏を覗かせたのはブルーの瞳をしたまるで天使のような子だったのです。
そしてその子猫はその日から家族みんなを虜にしていきました。
でも、アカが一番好きだったのはやはり父でした。
家族が父に嫉妬するくらいアカは父から離れようとせず、食事の時は父から
小さくちぎった魚の切れ端をもらい、満足すると父の布団の上で父がお風呂から
上がってくるのを待っておりました。
そして父の腕の中で寝るのがアカにとって一番の幸せな時間になっていました。
父が仕事に出かける時は、途中まで見送りに行き、帰宅時間が近づくとまた同じ場所まで
迎えに出ていました。
(まるで忠犬ハチ公のネコ版のようです)
そのように健気なアカですが、だんだんと父以外の家族にもベッタリと
甘えるようになりました。
そんなアカに母は消化が良くなるようにとイワシを柔らかく煮込み、
ご飯に混ぜてたべさせていました。
煮干しに至っては、私たち子供には『頭から全部食べなさい』っと言うのに
アカには、頭とはらわたをとって食べやすくして与えていました。
その為か、アカは生涯はらわたと頭をとった煮干ししか食べようとしませんでした。
(まるでお坊ちゃま気取りです。食糧難が起きた時、最初に餓死するのはキミだ!)
そして残った煮干しのきれはしは、何事も無かったかのように、
かつお節と野菜の味噌汁がかけられたコロのご飯になりました。
コロは、そうとは知らずアカの残飯整理を喜んで引き受けていました。
(いつか食糧難が起きても最後まで生き残るのは、コロきみだよ)
***************************
そのように暮らしていたアカですが、すでに姿を消して二ヶ月が過ぎようとしていました。
家族は半ばあきらめかけていましたが、もしどこかでアカが傷を負って亡くなっていたら
何としても見つけて供養してあげなければ可哀そうだと、もう生きてこの世にいないものと
家族全員が諦めてかけてました。
そして三ヶ月が過ぎた頃、近所の人からネコの貰い手を探している家が有るけど
どうかな・・・と話を持ち掛けられました。
親たちは、まだアカが見つかってもいない状態では他のねこを受け入れる事は考えられず、
事情を話し譲り受けるのをやめました。
しかし中学生だった私はその話を聞き、いてもたってもいられず親に内緒でコッソリと
その家の子猫を観に行ったのです。
籐の籠の中では、母ねこのお腹に顔を埋めるように三匹の小さな子猫がスヤスヤと寝ていました。
※度々申し訳ございません。長くなりますので続きは次回にさせて頂きます。
と言えば聞こえが良いのですが、ただ単に自分の縄張りを広げようとしていたのか、
または、他の縄張りに可愛い子を見つけ、無謀にも駆け落ちを試みたけど、
そこのボスに見つかりボコボコにやり込められ、命からがら逃げ帰って来たのか・・・
色々想像は出来ますが、本人は自分のメンツにかかわる事なので最後まで決して
口にはしませんでした。
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アカが姿を消して既に一か月が過ぎていました。
家族は総出であちこち探し回りましたが見つからず、母と祖母は畑仕事の合間をぬって、
だれか見かけた人はいないかと隣町まで足をのばし訪ね回っていました。
わたしは中学生でしたので、同級生や友達、そのまた友達にアカの特徴を伝え、
もし見かけたらすぐに知らせてほしいと頼みまわっておりました。
父は仕事が終わると、家には帰らずそのままバイクを走らせ10キロ四方を
毎日探してまわっておりました。
アカは父が会社の同僚から譲り受けたネコだったのです。
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アカを初めて目にした時の光景は今でも懐かしく思い出されます。
帰宅した父のジャンバーの中には、ふぁふぁとした小さな小さな子猫が入ってました。
バイクで帰宅する為、寒くないようにとタオルにくるみ、父はジャンバーの懐に
入れて帰って来たのです。
父の胸元から顏を覗かせたのはブルーの瞳をしたまるで天使のような子だったのです。
そしてその子猫はその日から家族みんなを虜にしていきました。
でも、アカが一番好きだったのはやはり父でした。
家族が父に嫉妬するくらいアカは父から離れようとせず、食事の時は父から
小さくちぎった魚の切れ端をもらい、満足すると父の布団の上で父がお風呂から
上がってくるのを待っておりました。
そして父の腕の中で寝るのがアカにとって一番の幸せな時間になっていました。
父が仕事に出かける時は、途中まで見送りに行き、帰宅時間が近づくとまた同じ場所まで
迎えに出ていました。
(まるで忠犬ハチ公のネコ版のようです)
そのように健気なアカですが、だんだんと父以外の家族にもベッタリと
甘えるようになりました。
そんなアカに母は消化が良くなるようにとイワシを柔らかく煮込み、
ご飯に混ぜてたべさせていました。
煮干しに至っては、私たち子供には『頭から全部食べなさい』っと言うのに
アカには、頭とはらわたをとって食べやすくして与えていました。
その為か、アカは生涯はらわたと頭をとった煮干ししか食べようとしませんでした。
(まるでお坊ちゃま気取りです。食糧難が起きた時、最初に餓死するのはキミだ!)
そして残った煮干しのきれはしは、何事も無かったかのように、
かつお節と野菜の味噌汁がかけられたコロのご飯になりました。
コロは、そうとは知らずアカの残飯整理を喜んで引き受けていました。
(いつか食糧難が起きても最後まで生き残るのは、コロきみだよ)
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そのように暮らしていたアカですが、すでに姿を消して二ヶ月が過ぎようとしていました。
家族は半ばあきらめかけていましたが、もしどこかでアカが傷を負って亡くなっていたら
何としても見つけて供養してあげなければ可哀そうだと、もう生きてこの世にいないものと
家族全員が諦めてかけてました。
そして三ヶ月が過ぎた頃、近所の人からネコの貰い手を探している家が有るけど
どうかな・・・と話を持ち掛けられました。
親たちは、まだアカが見つかってもいない状態では他のねこを受け入れる事は考えられず、
事情を話し譲り受けるのをやめました。
しかし中学生だった私はその話を聞き、いてもたってもいられず親に内緒でコッソリと
その家の子猫を観に行ったのです。
籐の籠の中では、母ねこのお腹に顔を埋めるように三匹の小さな子猫がスヤスヤと寝ていました。
※度々申し訳ございません。長くなりますので続きは次回にさせて頂きます。