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2018.6.3【貴戸理恵|追悼常野雄次郎⑹_6月3日常野雄次郎さんの言葉と行動を引き継ぐ会の日に【「コミュ障」の社会学/貴戸理恵/青土社2018.5.14

2018年06月03日 | 《き》 _読んだ本・人・ブログ
2018.6.3追悼常野雄次郎⑹
「コミュ障」の社会学/貴戸理恵/青土社2018.5.14
    山東//滋賀ほか


内容:(滋賀県立)
若者の対人関係における「コミュ障」. 「生きづらさ」の増殖をどう考えるか. リスク社会と不登校. 「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」. 「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ. 支援者と当事者のあいだ. 不登校の子どもの「居場所」を運営する人びと. 「働かないことが苦しい」という「豊かさ」をめぐって. 「自己」が生まれる場. 不登校からみる共同性の意義. 「書くこと」のススメ. 「当事者」に向き合う「私」とは何か. 家族とコミュニケーション. 「学校不適応でも大丈夫」と言いつづけるために



目次:(青土社HP
治療でも、感情論でも、ハウツーでもなく。
空気を読むのが苦手でも、人とつながって生きていける。不登校やひきこもりに寄り添いながら、学校や職場を支配する「コミュニケーション至上主義」の背景を明らかにする、生きづらさを抱えたみんなのための社会学。



はじめに


第Ⅰ部 「コミュ力」時代の生きづらさ

1 若者の対人関係における「コミュ障」
「コミュ力」の時代/「コミュ障」とは何か/大学における「コミュ力のある人」/「エンタテイメントとして人を侮る力」としての「コミュ力」/対人関係をめぐる生きづらさ/「空気」が読めてしまうから生きづらい/異文化と「コミュ力」

2 「生きづらさ」の増殖をどう考えるか――みんなが「当事者」になる時代
「生きづらさ」が増えている/学校のなかの「生きづらさ」/自己責任のリアリティ/それでもつながって生きる知恵を

3 リスク社会と不登校――一九八〇年代の不登校運動から二〇一〇年代の生きづらさへ
はじめに/「学校+企業=社会」/「場」に包摂された生きる息苦しさ/不登校運動の興隆/リスク化・個人化/「生きづらさ」へ



第Ⅱ部 「当事者」と「専門家」のあいだで

4 「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」――「当事者の語り」再考
「問題に取り組む私」から出発する/「ぼくは、もっと怒っていい」/「終わりのない語り」の可能性

5 「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ――不登校の「その後」をどう語るか
はじめに/「ひきこもりにつながる不登校」の語りづらさ/「当事者」再考/実践と語り/おわりに

6 支援者と当事者のあいだ
「支援者」の揺らぎ/「当事者」・「支援者」が曖昧な「生きづらさ」の現場/「マイノリティとしての当事者」と「関与者としての当事者」/「生きづらさ」支援を考える/おわりに

7 不登校の子どもの「居場所」を運営する人びと――それでも「学校に行かなくていい」と言いつづけるために
はじめに/専門家の言説と不登校の「その後」/調査対象と調査概要/「居場所」を運営する人びと/それでも「学校に行かなくていい」と言いつづけるために/おわりに



第Ⅲ部 新たな「社会とのつながり」へ

8 「働かないことが苦しい」という「豊かさ」をめぐって
「働かないことが苦しい」ということ/価値の内面化と「苦しみ」/価値の内面化による「苦しみ」の源流としての不登校/若者就労における「苦しみ」の解除/「シューレ大学」信田風馬の手記から/存在承認と業績承認/「働くこと」の再構想へ

9 「自己」が生まれる場――「生きづらさ」をめぐる自助活動としての居場所と当事者研究
「生きづらい人」にとって「対話」が持つ意味/「づら研」の概要と私の関わり/語りを介した自助活動は何をするのか/何が起こっているのか/変化の条件/「個」を生み出す「場」の重要性

10 不登校からみる共同性の意義――「多様な教育機会確保法案」に寄せて
「いまあるよいもの」を生かす制度化を/フリースクールの意義としての共同性/「共同性の制度化」の困難とその必要性

11 「書くこと」のススメ
「書く」ことで社会とつながる/「書くこと」の三角形/おわりに

12 「当事者」に向き合う「私」とは何か――不登校への「よい対応」とは
「当事者に向き合いたい」という思いとは何か/私の不登校体験/今、親・教師として不登校に向き合うなら

13 家族とコミュニケーション
三歳の不機嫌に寄り添う/家族のコミュニケーション/産後に変わる夫婦の関係/関係は生き続ける/姓が変わるということ/「生きづらさ」と家族

14 「学校不適応でも大丈夫」と言いつづけるために
元不登校の母親が、娘の不登校を考える/オーストラリアで娘が不登校に/娘に付き合い、試行錯誤/学校不適応でも大丈夫、と言いうるために

おわりに
参考文献
初出一覧

[著者] 貴戸理恵(きど りえ)

1978年生まれ。関西学院大学准教授(社会学、「不登校の〈その後〉研究」)。アデレード大学アジア研究学部博士課程修了(Ph.D)。著書に『不登校は終わらない――「選択」の物語から〈当事者〉の語りへ』(新曜社)、『増補 コドモであり続けるためのスキル』(「よりみちパン!セ」、イーストプレス)、『増補 不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』(同、常野雄次郎氏との共著)、『女子読みのススメ』(岩波ジュニア新書)、『「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに――生きづらさを考える』(岩波ブックレット)など。


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図書館の新刊コーナーにあった。
きょう6月3日常野雄次郎さんの言葉と行動を引き継ぐ会が京都で行われている。ニートのあした2018年6月3日(日)13:30~@京都テルサ
 一気に読めそうもないので、少しずつ読んで少しずつ書き足そうと思う。
by龍隆


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