午後1:33 · 2020年4月28日
ウーゴ・バルディ著『崩壊:予想したこと、実際に起こったこと』https://t.co/PwA2Ou55aO
— M.Ohtani (@ergosopher) April 28, 2020
午後11:25 · 2020年4月29日
「法律習慣の全体が驚くべき速さで粉々になってゆくのをかれは目にする・・・かくしてプラトンは、知恵を愛する者たちが国々の王となるまでは、人類に安寧の時はないだろうことを宣言する」(コーンフォード『ソクラテス以前以後』)
— M.Ohtani (@ergosopher) April 29, 2020
午後11:28 · 2020年4月29日
「ローマの狼をプラトン流の番犬に変える奇跡をなしとげたのは、ギリシア哲学のはたらきであった」、「衰退の悲劇的な結果をもとどおりに回復すること、あるいはせめてそれを緩和すること、それがローマの行政官のみならずギリシア哲学者の生涯の事業であった」(トインビー『歴史の研究』)
— M.Ohtani (@ergosopher) April 29, 2020
午前9:25 · 2020年4月29日
DMITRY ORLOV氏の『崩壊の時代にうまくやること』 https://t.co/dDdgkeJX8k・・・実はサーバー移転に伴い文章が尻切れにされていたのだが、時勢に鑑みて、後半の欠落していた箇所を継ぎ足しました
— M.Ohtani (@ergosopher) April 29, 2020
午後3:52 · 2020年4月30日
「「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となるのである」(丸山眞男『超国家主義の論理と心理』) https://t.co/MuzNO6tRWS
— M.Ohtani (@ergosopher) April 30, 2020
午後3:54 · 2020年4月30日
「意識としての独裁は必ず責任の自覚と結びつく筈である。ところが・・・我が国の不幸は寡頭勢力によって国政が左右されていただけでなく、寡頭勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである」(丸山眞男『超国家主義の論理と心理』) https://t.co/6ACGZs7pXj
— M.Ohtani (@ergosopher) April 30, 2020
午後4:27 · 2020年4月30日
430BC頃のアテネの疫病後、寡頭政治の専制に嫌気してプラトン、アリストテレス登場して、教え子のアレキサンダー大王、プトレマイオスI世が治めるまで100年ほどかかるんだよね
— M.Ohtani (@ergosopher) April 30, 2020
**下のツイートは、ここへ間借り。適切な処へ移動させます。
午後8:04 · 2020年4月30日
日本の昨年の死者数は1日平均3700人。うち肺炎死者がだいたい1割。コロナ死者はこれまで最大で33人。医療や葬儀の現場に負担のかかる大きさではない。歪みは主にマスコミと政府が起こしている。
— 故郷求めて (@furusatochan) April 30, 2020
**別の記事にしたいが、また今度。
**広告や本文と関係のないイメージ画像などに、病的なまでに気がいってしまう。ゆっくり読みたい記事を、全文をコピペして引用してる(引用元URLを書いて)
by龍隆2020.5.1
大谷正幸|ShiftM.jp byもったいない学会2020年4月28日: ウーゴ・バルディ著『崩壊:予想したこと、実際に起こったこと』
https://shiftm.jp/collapse_by_ugobardi/
ある種の崩壊が起こることを予見できた私たち(崩壊研究家”collapsniks”)でさえ、実際に起こった崩壊の成り行きには驚かされた。しかし、いつもそうであるように、起こることすべてには、それが起こるべくして起こる理由がなければならない。 上図:セネカ曲線
崩壊は起こる。それは人生におけるルールであり、古代ローマの哲学者ルキウス・セネカがずっと前に指摘していたように、「破滅に至る時はすみやかだ」(festinantur in damnum)。しかし、崩壊にはもう一つのルールがあって、それは常にあなたを驚かせるということだ。セネカ自身も、かつて自分の生徒であった皇帝のネロから自殺を命じられて、さぞや驚いたことかと思う。
そのようなわけで、筋金入りの崩壊研究家でさえ、コロナウイルスの蔓延には驚かさた。私は、数理モデルが予測する崩壊について考えていたが、正直なところ、このような形になるとは思いもしなかった。たしかに、私が思い描いていたのは、予期せぬショックが社会を急速に機能不全にしてバランスを欠いた社会になるというもので、それは戦争状態だろうと予想していた。1月にイランのソレイマーニー司令官が米国の無人偵察機によって暗殺されたとき、私は「これがそうだ」と思った。しかし、そうではなかった。そして、わずか数ヶ月後に起こることを誰も予想できなかった。
しかし、起こることすべてには、それが起こるべくして起こる理由がある。そして、コロナウイルスにも理由がある。私は自著”Before Collapse”の中で、物理的な限界に達して負荷のかかった社会に感染症の流行が打撃を与えたことを記した。私が取り上げた例は、14世紀半ばにヨーロッパを襲った「黒死病」だ。黒死病は、ヨーロッパ人が十字軍を遠征して東方への拡張を試みた経済拡大策の後に起こった。初期にはいくつかの成功を収めたものの、その後、十字軍は費用の嵩む失敗であることが判明した。そして、ヨーロッパ人は自分たちがユーラシア大陸にある狭い人口過密の半島にいることに気づいた。そこは彼らが徹底的に森林破壊した地方である。飢饉は避けられず、その後、黒死病が起こった。最終的には、人口のおよそ40%が亡くなった。よい話ではないが、そうならざるを得なかったのだ。
現代に生きる私たちの場合、たしかにあいにくオーバーシュート状態ではあるのだが、感染症の流行の前に大きな飢饉はなかった。それどころか、(これまた自著の主題だが)「グローバリゼーション」と呼んでいる巨大な軍事的経済システムが、世界中のほぼすべての場所に食料を運び、飢饉の発生を防ぎ、途方もない人口増加を可能にした。もちろん、一部の人々は依然として栄養不良のままだが、世界はほぼ半世紀にわたって飢饉を免れてきた。それは大いなる成功だった。しかし、物事というのは、決して見えている通りのものではなく、裏がある。現代の見かけ上の豊かさに隠れて、災厄の種が萌芽していたわけだ。
現代のグローバル化した世界は中世のヨーロッパとは異なり、弱体化の要因は飢饉ではなかった。それは、環境汚染だった。今日では、私たちを取り巻く様々な汚染によって、人間の健康がどれほどのダメージを受けているかを正確に評価することは困難なものとなっている。私たちは、重金属、発がん性物質、マイクロプラスチック、反応性ガスなどに絶えず曝されているからだ。さらに私たちは、自然界にはなかったありとあらゆる化学物質を用いて栽培してやたらと加工された食材を使って、健康に悪そうな食事をしている。それでも私たちは生き続けるかもしれないが、身体の健康にはよいわけがない。そして、西洋人における肥満の蔓延というのは、このような状況の必然的結果なのかもしれない。
古代における崩壊と同様に、弱体化した人間集団は衰退する傾向がある。私たちの場合、これまでのところ、衰退は主として出生率の低下という形になって現れていた。驚くことではないが、それは世界で最も汚染された地域で起こっている。裕福な西側諸国でも非常に汚染が進んでおり、ほとんどの西側諸国の人口は減少している。つまり、死亡率が増加し、出生率が減少している。この衰退は、汚染によってそれほどひどく破壊されていない地域からの移民によって隠されているが、否定できないことだ。
このような事情がわかると、日和見性のウイルスが身体の弱った老人集団に猛威を振るったとして、あなたは驚くだろうか?驚くには当たらないだろう。コロナウイルスは先ず、世界で最も大気汚染が進んだ地域、つまり中国中部とイタリアのポー平原で猛威を振るったことにも納得するだろう。驚くべきことは、実のところ、感染症の流行が非常に緩慢であることだ。IHME(米国ワシントン大学にある保健指標評価研究所)は、ほとんどの西欧諸国で死亡率を0.1%未満と予測している。これは楽観的な予測かもしれないが、COVID-19はたしかに昔の黒死病のようなものではない!高齢者や工業国以外では、被害は極めて限定的であるように思われる。
むしろ驚くべきことは、ほとんどの政府の反応であり、間違いなく、ウイルスそのものに対してよりも人々に対してはるかに多くのダメージを与えたことだ。私は本稿の初めに、西側帝国の崩壊を引き起こすような戦争を予想していたと記した。ある意味では、それが起こったことなのだ。西側政府はこのウイルスを敵と見なし、彼らが知悉する戦争状態を利用して、ウィルスとの戦争を始めたのだ。それはハイブリッド戦争であり、ショックと恐怖と経済制裁にもとづくものだ。経済封鎖を行うことで、西側政府は彼ら自身の市民に対して戦争を仕掛けたも同然なのだ。とりわけ、何か悪いことがあるといつも最も酷い目に遭う貧しい人々に対する戦争の様相だ。
それで、私たちは何を予見することになるか?コロナウイルスが人口と資源消費量を大幅に減らすことができなかったならば、ロックダウンはそれでうまくいったということになるかもしれない。もしロックダウンがうまくいかなくても、心配無用! エコシステムは、私たちのためにオーバーシュートの問題を何らかの方法で解決するだろう。最終結果以外の詳細を予測することはできないかもしれないが、たしかなこととして、マスクを着用したり、プレキシガラス製の檻の中で暮らしたりするようなバカげた発想ではウイルスを止めることはできないだろう。
この度の出来事は生命の大いなるサイクルなのであり、それはこの宇宙の振る舞いなのだ。それはすでに起こったことだし、繰り返し起こることなのだ。そこで、イタリアの歌手、アンジェロ・ブランダルディによる『死の舞踏』(”Danse Macabre” or “Totentanz”)という中世的主題の現代解釈をあなたに紹介しよう。時々、死は、戦いに勝利しているように見えるが、決して勝てない。というのも、生命がなければ、死は何をするというか?
Angelo Branduardi – Ballo in Fa Diesis Minore (Live’96)
I am Death and wear a crown,
I am for all of you lady and mistress
and I am so cruel, so strong and harsh
that your walls won’t stop me.
I am Death and wear a crown,
I am for all of you lady and mistress
and in front of my scythe you’ll have to bow your head
and walk to the gloomy Death’s pace.
You are the guest of honor at the dance we are playing for you,
put your scythe down and dance round and round
a round of dancing and then one more,
and you’ll be no longer the lady of time.
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by龍隆2020.5.1
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