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2021.2.19【ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子|本: 大航海時代の日本人奴隷 増補新版_アジア・新大陸・ヨーロッパ/中公選書2021.1

2021年02月19日 | 《お》 _読んだ本・人・ブログ
2021.2.19【ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子|本: 大航海時代の日本人奴隷 増補新版_アジア・新大陸・ヨーロッパ/中公選書2021.1
 この本とは別なんだが
午後9:30 · 2018年6月16日

午後5:39 · 2018年6月23日

午後3:01 · 2019年9月8日

午後5:49 · 2019年9月22日

午後5:58 · 2019年9月22日

午後8:27 · 2021年2月14日

*日刊サイゾー

午後2:00 · 2021年2月16日

**借りてきてもなかなか本は読めないし、ブログに感想を述べることもできずにいる。そしたら、読みたいと思った、借りた時点でブログに「読むぞ!」と残しておこうか。
by龍隆2021.2.19

あとがきより
 本書はポルトガルで出版されたルシオ・デ・ソウザの著書Escravatura e Japonesanoa Seculas XVⅠ e XVⅡ(『16・17世紀の日本人奴隷貿易とその拡散』)、(Braga;NICPRI-Nucleo Investigaqao em ciencias Politicase Internacionais,2014,ISBN 078-989-98699-2-9)中の第1章・第2章を、吉田尚弘が翻訳し、岡美穂子がソウザとの調整のもと、日本で出版するにあたり、より理解しやすい内容・表現へと大幅に改稿したものである。177(略)p177
~ソウザの友人でポルトガル語翻訳家の吉田尚弘氏n助力を得て、ようやく原稿が形になった。ソウザの日本人奴隷に関するポルトガル語の著書は、実は本書の三倍の量が在り、日本人の拡散の事例だけではなく、日本イエズス会の奴隷貿易との関りや、ポルトガル当局による現状認識と、この問題に関する当局の法令など、重要な問題は、残りの部分に含まれている。吉田氏はすでに翻訳を完成させていただいており、残りの部分の出版がこれから先の課題として存在するのだが、とりあえず本書の刊行によって、世間の声を聴きたいと願う。(略)p178 あとがき/大航海時代の日本人奴隷_アジア・新大陸・ヨーロッパ/ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子/中公叢書2017.4

 2,3確認したが、ルシオ・デ・ソウザ著、岡美穂子著と表示されている。共著になるのだろう(吉田尚弘氏の翻訳とソウザシとの調整のもとに共著とされたのだろう)。
増補新版|同/ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著/中公選書2021.1が出版されている。
中公選書:紹介 https://www.chuko.co.jp/zenshu/2021/01/110116.html
 日本人奴隷のことは他の本で知っている。「~実は本書の三倍の量が在り、日本人の拡散の事例だけではなく、日本イエズス会の奴隷貿易との関りや、ポルトガル当局による現状認識と、この問題に関する当局の法令など、重要な問題は、残りの部分に含まれている。吉田氏はすでに翻訳を完成させていただいており、~」この部分をぜひ読みたい。ポルトガルにおける改宗ユダヤ教徒宣教師とイエズス会、その海外での行動を知りたいと思っていたので、読める日を楽しみにしよう。

by龍隆2021.3.15

大航海時代の日本人奴隷_アジア・新大陸・ヨーロッパ/ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子/
中公叢書2017.4 山東//滋賀ほか
大航海時代の日本人奴隷 増補新版_アジア・新大陸・ヨーロッパ/ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子/
中公選書2021.1 山東//滋賀ほか
中央公論:紹介(選書 https://www.chuko.co.jp/zenshu/2021/01/110116.html 
~異端審問記録に残された奴隷本人の証言。歴史のダークサイドとして省みられることのなかった日本人奴隷の実相を広い視野から紹介し、アジアにおける人身売買を新たな視角で検討する。増補新版。
(引用終わり。)

日刊サイゾー:紹介 https://www.cyzo.com/2021/02/post_268095_entry.html
ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー
2021/02/14 20:00 文=飯田一史(いいだ・いちし)
~ ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(中公選書)は、書名の通り、大航海時代まっただ中の16世紀――日本では戦国時代――に、多くの日本人がポルトガル商人たちによって世界各地へ奴隷として売られていたことの実証研究をまとめたものである。旧版は好評を得て5刷と広く読まれたが、増補新版ではイエズス会の日本人奴隷取引とのかかわりや、秀吉の朝鮮出兵によって長崎市場が朝鮮人奴隷だらけになったことなどに関する研究を補章として加え、旧版以上に驚くべき内容となっている。

 東京大学大学院情報学環(史料編纂所兼任)の岡美穂子准教授に、この時代の日本/日本人の奴隷貿易について聞いた。

//画像//
ヨーロッパ、中南米……こんなところに日本人奴隷
――日本人奴隷の流通は、どのくらい規模だったのでしょうか?

岡 増補新版で新しく加えた部分で示した、イエズス会の宣教師ガスパール・コエーリョの1587年の書簡によると、1隻の船で毎年平均して1000人以上の奴隷がマカオに運ばれていった、との記述があります。ただ、ポルトガル船は年に1隻しか来ていないわけではなく、時代によってはカピタン・モールと呼ばれるポルトガルの役職者(役人)が船長として動かしている大きな船が来ていたり、それ以外にもプライベートトレーダーがジャンク船でやって来たりしています。

「この年に何隻マカオから日本に来た」といった研究は、私貿易船のデータがわからないので限界がありますが、最低1隻の大型船で1000人くらい、つまり10年なら1万人ですから、多くの人が想像しているよりも日本人奴隷はたくさんいたといえるのではないでしょうか。大坂の陣(1614~15年)の後にマニラの日本人人口が2000人以上になっているという記述も史料に見られますが、これは日本人が奴隷や傭兵として海外流出した影響だろうと思われます。

――日本人奴隷の地理的な広がりについては、本によれば東南アジアはもちろん、そこからさらに南アジア、ヨーロッパ、中南米にまで及んでいたと。

岡 1年に1000人以上という規模で出て行った日本人が、ポルトガルの拠点であったマニラやマカオで終わらず、その先まで行くのは当たり前ですよね。「スペインに滞在した慶長遣欧使節団(1613年)の末裔がいる」と謳っているスペイン・セビリア近郊の通称「ハポン村」(「ハポン」は「日本人」の意で、この村では名字がハポンの人が今も多い)、コリア・デル・リオの話が有名ですが、実際にはそれだけ日本人が海外に出ていたわけですから、誰の子孫でも――奴隷の子孫という可能性も――十分あり得ます。ハポンさんの話だけが日本では知られているけれども、同じような話は世界中にあります。

 例えば、ポルトガルの田舎の村に「この人の祖母は日本人」と書かれている戸籍があったり。『世界の村で発見!こんなところに日本人』(テレビ朝日系)というテレビ番組がありますが、その現象は16世紀にはすでに起こっていたんです。

 ただ、朱印船貿易時代(1604~35年)に日本を出て行った貧しい出自の少年が、ヨーロッパの30年戦争(1618~48年)で傭兵として武勲を立てる『イサック』(原作:真刈信二、漫画:DOUBLE-S)という冒険活劇のマンガがありますが、そういう活躍をしてシャム(現在のタイ)の山田長政みたいに海外で一国の主になれた存在は数万人にひとりです。ほかの圧倒的多数は後の世で名前も知られることなく、奴隷として使役されて死んでいきました。

――奴隷の用途は傭兵や船員、女性なら妾とさまざまだったそうですが、流通価格はアフリカ系のほうが日本人より高かったと。値段は何で決まっていたんですか?

岡 それは用途によりますよね。売春させるなら美しいほうがいいし、傭兵なら武術や体格。すべての品物に高級品から汎用品まであり、それぞれ相応の値段が付いているのと同じで、奴隷もランク付けがされていました。今回の増補新版では長崎でのアフリカ人奴隷取引についても書いていますが、アフリカ系の人の価値が高かった理由としては、例えば戦国時代にポルトガル人がアフリカから日本に連れてきて信長が従えていた弥助の存在がありますよね。信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国の史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから、実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間を自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います。

次のページイエズス会士が奴隷に「洗礼」を授けたワケ
p2
――日本人奴隷の取引は、いつからいつまで続いていたのでしょうか?

岡 ポルトガル人が1543年に種子島に流れ着いたことで鉄砲が伝来したという説がありますが、鉄砲の話はさておき44年にはポルトガル人とスペイン人の両方が日本に来ていますので、そのときにすでに国外に連れて行かれていると思います。種子島限定のご当地の伝承として、鉄砲の製造法を教える代わりに村の娘が売られていったというものがあるんですね。その前から鹿児島のあたりの倭寇が中国人・日本人をさらっていましたけど。

 日本で奴隷貿易そのものやイエズス会の介入が完全に絶たれる状況になったのは、1598年にルイス・デ・セルケイラが日本司教として長崎に到着して、奴隷取引に関わる者すべてを教会法で罰すると定めたことによります。それで日本人の奴隷という形の流出は終わって――ただ、奴隷身分ではない傭兵などとして海外に行く人は変わらずいました――、奴隷の供給源は秀吉の朝鮮出兵(1592~98年)でさらってきた朝鮮人に変わります。

――ということは50年以上、取引されていたと。実際には守られなかったそうですが、1570年にポルトガル国王が日本人奴隷取引を禁じたり、1603年にスペイン国王がインド・ゴアでの日本人奴隷禁止を定めたセバスティアン法を再び公布したりと、取引に制限をかけようとしていますよね。そもそも、なぜポルトガルやスペイン国王は日本人は奴隷にするべきでないと考えたのでしょうか? おおっぴらに人さらいから買って大量に奴隷として流通させると、日本の権力者の怒りを買って布教に差し障りがあると危惧したから?

岡 それは大きいと思います。加えて、ヨーロッパでは新しく発見する人種をカテゴライズしてランクを付けるんですね。例えば、イエズス会のアコスタによる『新大陸自然文化史』(1590年)という本には人種の等級分けについて書かれています。ヨーロッパを最上級とすると、インディオは非常に下位の「獣、動物に近い」に入れられる一方、日本と中国は「中の上」くらいの「ほぼ文明化された人々」に位置づけられています。だから、「そういう人を奴隷にするのはいかがなものか」という議論がされていました。

――イエズス会の人たちが商人から頼まれて奴隷に洗礼を授けていた動機は……?

岡 受洗には「文明化する」、つまり「獣から人間にしてあげる」という意味があります。奴隷にはなるものの、キリスト教徒になることによって人間になるのだから良いことだと解釈されていた。もちろん、雇用主によってはまったく人間扱いしないんだけれども、教会側は「キリスト教徒になったのだから人権は守られるべきだ、虐待は犯罪だ」と考えます。だからこそ、例えばアルゼンチンで「私は本来『期限付きの奴隷』のはずなのに、勝手に永久奴隷にされた」と訴訟を起こした、日本から連れてこられたフランシスコ・ハポンの場合は訴えが認められて、奴隷身分から解放されたという裁判資料が残っています。現地の言葉も自由に話せるようになると、ヨーロッパ人が新大陸でしている契約のごまかしや理屈のトリックに気づくんでしょうね。それで裁判所に訴えた事例がたくさんあります。

――売られた日本人の感覚からすると「年季奉公」のつもりだったけれども、「奉公」はヨーロッパ人の感覚では「奴隷契約」である、という指摘も本の中にありました。

岡 歴史学で「奴隷」をどうとらえるかという研究が進んだのはこの10~20年ですが、人類の歴史上ずっといて、今もいないとはいえない存在です。英語で言うslavery(奴隷)は多様な労働形態を含みます。日本の奉公がslaveryではなかったかというと、欧米の研究者はslaveryだととらえます。ただ、「期限付き」だったし、例えば年に一度は実家に帰れたりといったことはあった。虐待され続けるディスポーザル(使い捨て)な存在かというと違います。でも、歴史的にいうと、おそらくslaveryに入る。「奴隷」と聞いて私たちがしばしばイメージするのは「アフリカ人がアメリカに連れてこられてプランテーションで働かされる」だと思いますが、そのステレオタイプで人身売買をとらえると実態を見誤ってしまう。

 例えば、「からゆきさん」(19世紀後半に東アジアや東南アジアなどに渡って娼婦として働いた日本人女性)の契約書を見ると、16世紀の日本人奴隷の契約書とほぼ同じストラクチャーなんですね。書かれている内容が全然変わってない。ということは、からゆきさんも実質的には奴隷ですよね。

次のページ秀吉の朝鮮出兵で長崎市場が朝鮮人奴隷だらけに
p3
――「ポルトガル人が日本人を奴隷として海外に売っていた」と聞くと、「なんてヒドい」という気がしますが、そもそも日本人が戦争で人を捕虜にしたり、誘拐したり、カネに困った親から子どもを買ったりして調達して、それをポルトガル人に売っていたわけですよね。そういう人を狩って売る側の日本人は何か罪に問われたのでしょうか?

岡 問われていないと思います。戦国武将が百姓を戦に動員するときには、その日の握り飯くらいしか与えなかったんですね。だけど、戦争に行く以上は雑兵(ぞうひょう)だって何か得たい。そこで、兵士が戦地で物を略奪したり、人をさらって売ったりしてお小遣いにするのを禁じていたら、大名は戦争に人を動員できなくなる。そういう形で人をさらっても黙認されている状況がある中で、ポルトガル人という買い手が現れたという話なんですね。それ以前にも、日本国内では人はさらわれて売られ、違う地方に移動していました。ですから、秀吉が伴天連追放令(1587年)で日本人の取引を禁じたのも、「日本人の人権を守れ」といった意図からではなくて、天下統一して戦争がなくなった後、国づくりに使える人や物が海外に流出するのはけしからんという気持ちから発したものではないかと思います。

――朝鮮出兵ではキリシタン大名や武将が前線に立ち、彼らが略奪してきた朝鮮人奴隷で長崎市場がいっぱいになり、色街もできたということが今回の増補新版では書かれています。日本人が売られていたことだけでなく、日本人が朝鮮人をさらってきて外国人に売ったり、国内で奴隷的に使役したりしていたことも合わせて見ないといけないですよね。

岡 当時、イエズス会内部ではキリシタン大名による朝鮮での略奪やその後の奴隷売買をどう正当化するかが議論になっていました。秀吉はキリシタンではないから神学的に正しい「正戦」ではないけれど、キリシタンの大名や武士は略奪してきてしまう。この点について、ヨーロッパの高名な神学者バスケスに対して日本からわざわざ諮問を送っています。回答は「兵士は主人の命令に従っているだけで、戦争が不正かどうかは測りようがない(罪の意識がない)から、違法とされる神学的根拠はない」。まあ、良いことではないけど目をつむってもいい、と。

 キリシタン史ではこのことに踏み込むのはタブーだったのですが、『大航海時代の日本人奴隷』の旧版で日本人奴隷の存在を知ってくれた人がたくさんいるのに、そこを踏み込んで書かないのはいけないと思って今回入れました。戦争をやっている大名ですから、キリシタンといっても綺麗事ばかりなわけがないんですよ。ほかにも、例えば大友宗麟が――スペイン人もポルトガル人も関わっていない――カンボジアとの外交におけるプレゼント交換で、日本人の「美女何人か」を送りつけていたりね。

キリスト教は仏教として認識されていた
――岡先生の旦那様で、共著者であるルシオ・デ・ソウザ先生(東京外国語大学特任准教授)が、この本の元になった研究内容を学会で発表したら、聴講者から「捏造ではないか」とまで言われたと本にありました。長年、日本人の奴隷取引に関する研究が行われず、無視されてきた背景は?

岡 キリシタンは「殉教させられた、かわいそうで悲惨な存在」「キリスト教の歴史の中でも燦然と輝くもの」という“殉教史観”が根強くあるんですね。今もその世界観を強く守ろうとしている研究者はいます。そこに属さない私は、おそらくイエズス会のブラックリストに入っていると思いますけども。

――ブラックリスト(笑)。

岡 実際、あるシンポジウムに私が登壇したら、キリスト教系メディアの人たちが聴講席の最前列にいて、ずっと睨まれていたことがありました。「イエズス会の中に日本を征服しようと思っている人たちがいた」という史料をじゃんじゃん紹介した高瀬弘一郎先生(慶應義塾大学名誉教授)も、相当パージされていましたから。ただ、『岩波講座 日本歴史』や吉川弘文館の『日本宗教史』、イギリスのケンブリッジ・ヒストリーなどの権威ある講座ものにお声がけいただいたりして、最近では「キリシタン史概説を書かせるなら岡でもよい」的なポジションになってきていますから、私が特別に異端で問題視されているわけではない。その逆で、これまでバイアスがかかりすぎていたのだと思います。

 いまだに日本で紹介されていないイエズス会の史料は膨大にあるんですね。それを翻訳していけば歴史の見方が変わると思っていますが、私はマークされているので、そのうちイエズス会の史料館に入れてくれなくなるかもしれない(笑)。今も信徒さんがいるから負の歴史を書かれたくないという気持ちもわかるのですが、史料に書かれていることを客観的に分析するのが歴史研究のプロの仕事ですし、歴史研究は特定の誰かのものではないですから。

――岡先生の最近の研究や今後の執筆予定は?

岡 最近は「キリスト教は、仏教として認識されていた」ということを国内外で論文にしています。ザビエルが布教を開始したときは、キリスト教の神「デウス」が「大日」と翻訳されて、エラいことになったのは、本郷和人監修『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)でも書かれているので、かなりもう知られていると思いますが、私は、ずっとその後の江戸時代初頭くらいまでは、その認識は払拭されなかったという説を提唱しています。仏教だと思われていたから、「外国の宗教だから」とか「一神教だから」という禁教理由はあてはまらないと思います。

 それから、私の今のところ唯一の単著は『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』(東京大学出版会)という南蛮貿易に関するものなのですが、日本国内のネットワークのことをあまり書いていないんですね。ですから、日本国内で商人たちがどのように南蛮貿易にかかわっていたのかに関する本を書こう――としていたところ、大坂の陣にキリシタンをめぐる陰謀が動いていたという件について依頼があったので、そちらも同時並行で書いています。

 とにかく、気力・体力が続く50代くらいまではタブーに挑戦し続けたいと思っています。

プロフィール
岡美穂子(おか・みほこ)
1974年、神戸市生まれ。京都大学大学院博士課程修了。博士(人間環境学)。現在、東京大学大学院情報学環(史料編纂所兼任)准教授。専攻は中近世移行期対外関係史、キリシタン史。 単著に『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』(東京大学出版会)がある。

飯田一史(いいだ・いちし)
マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。
最終更新:2021/02/14 20:00
(引用終わり。)
*日本人奴隷の「流通は、どのくらい規模だったのでしょうか?。」このいきなりの野卑な聞き手の発言にびっくりした。「マーケティング的視点と批評的観点から」大航海時代の日本人奴隷を解説、分析するのだろうか。他紙、他WEBの記事をあたってみた。
なんかな、聞き手にふさわしい人なんだろうか。分野が違いすぎる気がする。

飯田一史|現代ビジネス(ライター: →https://gendai.ismedia.jp/list/author/ichishiiida
飯田一史|YAHOO!ニュース(個人:サブカルチャージャーナリスト/編集者/飯田一史
https://news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/
PRESIDENTonline東洋経済nline


*どういう人か知らない。ネットでヒットした。まずは、増補新版を読んでから
書評:
鈴木悠也|万巻の書を読み 万里の路を行くWEB(2018/2/20:
『大航海時代の日本人奴隷』 ルシオ・デ・ソウザ
http://togoku.net/age-of-discovery-japanese-slave/
~学校では教わらないことだけれど、大航海時代に日本人が奴隷として売買されていた。
現在では、マカオ、フィリピン、ゴア、メキシコ、ペルー、アルゼンチン、ポルトガル、

スペインなどから多くの日本人奴隷が存在していたことが、新出の史料から確認されている。

認識はしていたけれど想像以上に多く、新大陸にまで及んでいたのには驚く。

(引用終わり。)

YHOO!ニュース|《ブラジル》【記者コラム】16世紀に南米に来た日本人奴隷とユダヤ教徒
2020/10/20(火) 5:57 
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e07ecb65a8e27ec428cf94d2219c20063c19c54?page=1
元記事:JORNALニッケイ新聞NIKKEY SHNBUN)|2020年10月20日
元記事ニッケイ新聞から→https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/201020-41colonia.html
~ BBCブラジルにセンセーショナルな記事が踊った。
 いわく《400年前にポルトガル人によって世界に売られた日本人奴隷の歴史》(9月12日付、アナ・パウラ・ラモス記者)〈https://www.bbc.com/portuguese/internacional-54120476〉というポルトガル語の記事だ。東京外国語大学のルシオ・デ・ソウザ特任准教授と東京大学史料編纂所の岡美穂子准教授に取材したもの。
 冒頭には《1585年、誘拐された8歳の日本人少年は、ポルトガル人商人ルイ・ペレスに奴隷として売られた。豊後国(現在の大分県大分市周辺)で生まれたこの少年は、ペレスが最初に手に入れた5人のアジア系奴隷の一人で、「ガスパル・フェルナンデス」として知られた》とある。
 さらに《研究者らによれば、この少年は日本人によって誘拐された。当時、日本人が誘拐してポルトガル人に売る行為は一般的だった。ガルパルは、ペレス家と共に過ごして家事奉公した。彼はポルトガル語とスペイン語を覚え、家族と共にフィリピンのマニラへ連れて行かれ、ペレスはそこで、禁止されていたユダヤ教を密かに信仰していた罪で罰せられた。この商人はメキシコまで連れて行かれ異端審問にかけられ、アカプルコに到着する二日前に亡くなった》と書かれている。(以下略)
(引用終わり。)
↑**多分、この記事を併せ読んだほうが良い

**日本の研究者の小岸昭氏。ドイツ文学、ナチズムとドイツ。「マラーノ」ユダヤ人の遍歴。などの研究者
ウイキから抜き書きした小岸昭氏の本に、スペイン、ポルトガルの改宗ユダヤ教徒のユダヤ人のイエズス会との関係、日本から、インド、中南米に連れられた日本人の研究成果の一部が載っている。
著書
欲望する映像 ドイツ的なるものと畸型児たちをめぐって 駸々堂出版、1985.1
スペインを追われたユダヤ人 マラーノの足跡を訪ねて 人文書院、1992.5/ちくま学芸文庫 1996
マラーノの系譜 みすず書房、1994.9
https://www.msz.co.jp/book/detail/05026/
~カトリックによる宗教統制を掲げる15世紀末のスペイン。追放か改宗かを迫られ、たび重なる異端審問の弾圧を前に改宗を受け入れた者たちは、古いスペイン語で豚を意味する「マラーノ」の名で呼ばれた。
スペイン、ポルトガルからエリザベス朝ロンドン、自由都市アムステルダムへ、反ユダヤ主義の風潮が強まりをみせた19世紀ドイツ。さらに文学作品に描かれた世界を舞台に、改宗ユダヤ人の引き裂かれた内面と、その昇華精神‐サブライムの展開をたどる。

離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から 岩波新書 1997.2
十字架とダビデの星 隠れユダヤ教徒の500年 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、1999.3
世俗宗教としてのナチズム ちくま新書 2000.4
「赤い家」物語 思潮社 2002.9
隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン 人文書院 2002.10
中国・開封のユダヤ人 人文書院 2007.4
共著
ファシズムの想像力 歴史と記憶の比較文化論的研究 池田浩士、鵜飼哲、和田忠彦共編 人文書院、1997.2
ユダヤ教思想における悪 なぜ,いま「悪」なのか 植村卍編著 池田潤、赤井敏夫共著 晃洋書房、2004.6
インド・ユダヤ人の光と闇 ザビエルと異端審問・離散とカースト 徳永恂共著 新曜社、2005.7など。
読んだ本と読み切れていない本があるが、とりあえず



研究者リサーチreserchMap: ロッシャデソウザ ルシオマヌエルLucio Manuel Rocha de Sousa
 https://researchmap.jp/tufs.academia.edu
研究者リサーチreserchMap: 岡美穂子
 https://researchmap.jp/read0066505

紹介:関連するおはら野のブログ記事名orURL
2018.6.23【布留川正博・奴隷貿易|⑵コラム:大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷|近代世界と奴隷制/池本幸三・布留川正博・下山晃/人文書院1995ほか|下山晃
https://blog.goo.ne.jp/owarano51/e/1f5632700c703e4cf1bbb474df7b3d56
2019.9.8【布留川正博・奴隷貿易|奴隷船の世界史/岩波新書2019.8
https://blog.goo.ne.jp/owarano51/e/6e67c26eb686ab1ff1fdfe523de9336b

 
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by龍隆2021.2.19
** ここより下は本文記事ではありません(#ハッシュタグの表示を除いて) **


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