日本キリスト教団 尾鷲教会ブログ

三重県尾鷲市にある、キリスト教会です。
ホーリネスの群れに属しています。
昭和21年1月26日に復興されました。

夏期聖会に参加しました。

2011年08月29日 | 行事

 

 

8月16日から一泊二日で、京都復興教会にて、近畿中部地区ホーリネスの群れの聖会がありました。

主講師として、ナザレン教団・小岩教会牧師・ナザレン神学校の校長であられる

坂本誠先生が立てられました。

 

主題は、『聖なる者になりなさい

主題聖句は、     創世記17章1節 

 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」

職場でも、家庭でも、また、教会でも、

人がいれば、かかわりが生まれ、

生きている限り、いろいろな試練や苦悩に私たちは遭遇します。

 

しかし、全能の神であられる方は、義の右の手で、私を支え、前に押しいだし、ある時は、背負い、常に導いて下さる。

聖であられるかたが、私たちにも、聖となることを求めておられることの確認をしました。

それは、『お前たち、私が高みから見ているから、頑張れよ』というような、高みの見物、ではない。

 

 

坂本先生は、講壇の背後の白い壁に、パワーポイントで作成したスライドを大写しにして、

聖句や、ポイント、また、ある時は、イラストさえも、タイミング良く見せて下さり、よくわかりました。

 

たこやきには、たこが入っているのは当たり前ですが、時々、たこが入っていない偽たこやき、もあります。

『核』を持っているかどうか、時々点検するためにも、このような聖会に行くことは大切と思いました。

キリスト者としての『核』があるとおもいこんでいて、実は、空っぽ、なんていうこともなきにしもあらず、と、苦笑しながら聞いていました。

空ならまだしも、悪霊に占領されていないかどうか…。

 

 

二日目の朝には、鈴木恵子先生のお証の時間もありました。(写真は、その時のものです。左端が、講師の坂本先生です)

耐えきれないと思われるような、ご経験の数々がおありになりましたが、

すべて、神様の御計画であって、今がある、と先生はおっしゃいましたが、誠にしかり、しかり、アーメンです。

だました人に対しての憎しみではなくて温かい手を差し伸べて下さる方に対する感謝の思いで満たして下さった、というところが心にとまりました。

 

日々、いくつかの不安材料に、心を占領されてしまうこともよくあります。

悩み恐れが襲いきたりて、ついに衰えて、萎えてしまうようなことの連続もあります。

 

しかし、主題聖句にあります主の約束を深く学んだ時、

主の愛に取り囲まれて、そして、人からも愛されていて、

それなのに、感謝の心を置き去りにして、なにをブツブツとつぶやいていたのか

尊大で鈍感であった自分に恥じ入りました。

 

まずは、気づいた者から、『聖化』を意識し、感謝する日々をおくること。

自分の力ではできなくて、挫折の日々ではありますが、

イエス様の愛の故に、いずれの日にか、聖なる者、とならせていただきたいと、切に願いました。

(文責・古智)

 

 

東京聖書学校の神学生の皆さんをお迎えして。

2011年08月06日 | 行事

東京聖書教会の神学生の皆さんが、8月上旬、キャラバン隊として、尾鷲教会を訪れて下さいました。

    ↓

 http://www.t-bs.com/

   <一口メモ>  キャラバン、とは…

        商品の輸送中に盗賊団などの略奪、暴行などの危険から集団的に身を守り、

        商品の安全やいざというときの保険のために組織されていた隊。 

キリストにある、精鋭部隊、ですね。献身の召しを受け、

神学校で教職者になるべく、勉強されている方々と、

引率された先生の四人チームです。

 

まずは、翌日の『こども祭り』の準備と、尾鷲特有の雨の降る中での、チラシ配り。

祈りが聞かれて、当日は雨もやみ、はじめて教会に来る子たちが集まってくれました。

身体を使った賛美や、ゲーム、ヨセフ物語の紙芝居、アイスクリームのトッピング、スイカ割り、お菓子釣り…。

楽しい一時に、子供たちはもちろん、参加する大人たちも笑顔笑顔。

教会ははじめて、というこどもたちが、教会に足を踏み入れてくれたこと、とてもうれしいです。

この小さい魂が、どうか神のこども、として導かれるように…。

翌日は、祈祷会の中で、それぞれの方から「献身に至る証」を伺いました。

私たちは、一人ひとりを愛し、導き、ご自分の民としていつくしんで下さることを、深く確信したことです。

お交わりを通して、東京聖書学校の働きが、とても身近に感じられ、

「献身者を支える献身者」として、神様の前に背筋を正したことでした。

神の器としての学びの期間が祝されますように、

S神学生、N神学生、K神学生のために、続けて祈りたい私たちです。