日本キリスト教団 尾鷲教会ブログ

三重県尾鷲市にある、キリスト教会です。
ホーリネスの群れに属しています。
昭和21年1月26日に復興されました。

チャリティジャズコンサートに寄せて

2011年06月29日 | 牧師の書斎から

魂の平安を祈る 讃美歌ジャズコンサート

7月7日(木)午後1時30分~3時30分

 日本キリスト教団 尾鷲教会1階ホール

※入場料は無料ですが、会場内に義援金箱を設置してます。

どうぞ、皆様の温かなご支援をお願いいたします。

なお、集まりました義援金は全額被災地に送金いたします。

 

ある日の鎮魂の祈りをお聞きください。

 

一瞬のうちに奪われた尊い命 23,000人に捧げるレクイエム。

老いた両親、愛する家族を残して消えた涙の魂よ、鎮まって下さい。

3カ月経っても、なお、いとし子の遺品を捜す母親の魂に、

一人置き去りにされた孤独の魂に、帰る道なき夫をひたすらに待つ

妻の魂に、届いてください 慰めのレクイエム。

地震・津波の猛威に続いて、収束なき原発の恐怖におののく魂に、

先の見えない暗黒の中、絶望の淵にある魂に、どうぞ、

主よ、あなたが寄り添い、あなたの平安と希望をお与えください。

 

                        日本基督教団 尾鷲教会

                           牧師 鈴木恵子 


尾鷲教会・教会員による奨励 (U姉)

2011年06月14日 | 行事

 

連れ合いの夫Kが死んだのは、結婚して18年後で、今から20年前、48歳の若さであった。

直腸癌で死ぬ三ヶ月前に突然、神様を見たから洗礼を受けるといい、当時のT牧師から病床洗礼を受けた。

それまでは、私に教会に行くな、折角の日曜日だから教会に行かず家にいたら楽である、楽におらないと疲れる等と言っていた。

高齢の姑、障害者の兄を抱えて生活していくことは、辛い事悲しい事があるだろう。

耐えていく為にも主人はクリスチャンにならなくてはと私は願っていたので、洗礼は神様の導きだったのである。

 

義兄・Mは、夫が亡くなった時、66歳であった。Mは小学一年生の時に高熱で耳が聞こえなくなったそうである。

夫亡き後、実の妹達からの援助は受けられず、私が面倒をみてきた。手術・入院のために、これまでにもMには私は金銭的にも数百万円、肉体的にも精神的にもサポートは、正直苦しかった。

加えて六年前には耳も聞こえなくなった。済生会病院の眼科で受診した所、手術の後、動かないで下さいと言う支持が聞こえないので、動いてしまい危険であるから手術はできませんと言われた。

更年期障害で体調を崩した私は、神様を信じているのに、人に悪い事もしていないのに、どうしてこのような目に合わないといけないのですか。神様、助けてください、もう義兄の看病やお世話は疲れましたと祈った。

しかし、祈っているうちにだんだん考え方が変わってきた。知恵のない私が定年まで仕事を続けて、給料も退職金も頂く事が出来たではないか。みんなみんな神様の恵みではないか。

 

【はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたのであるマタイ25-40】

 

義兄Mは先のイースターに受洗した。このためにも私はこの世に生まれる必要があったのだ。人は必ず死ぬ、死んだ後、地獄に落ちるか、永遠の命を頂いて御国にはいるかどちらかである。この世でこれといって平凡な幸せを掴めなかったが、私を通して洗礼を受けられたMは幸せではないのか。

 

【主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく助けを求める叫びを聞いてくださいます。詩篇22-25】

 

私は、旅行と観劇と読書と写真が大好きである。6年前の海山の水害の時、大切な子どもの成長ビデオと写真を無くした。40数年書き続けてきた日記帳も、教え子達にもらった手紙も記録帳もすべて無くした。

だから、今回の東日本の津波の映像を見た時、涙が出る前に震えが来た。神様、なぜこんな目にあわないといけないのですか、なぜですか。親の顔もまだ知らない子どもが、いろんな夢を持っていた子どもたち・大人たちが一瞬のうちに津波で亡くなった。

私は大好きなある物をキャンセルして義援金に回した。東南海地方に住む私が受けるべきであったかもしれないこの出来事を、貴方たちが代わってくださったのですねと思う私のこの悲しみから、苦しみから立ち直る事ができなかったのだ。

 

ある日、教会員のN姉に「両親をショートに預けて、もし天気がよかったら6年前に助けて頂いたお礼に東日本にボランティアに行かない?」と言うと「行く」との返事。二人で出かけた。

 

釜石に着いて港近くに行くと、信号が消え立派な建物のガレージには赤い文字で×印が大きく書いてあり前の道路には瓦礫の残骸が山と積まれていた。「何、これ、うわー」目を背けたくなるほどの悲惨さに涙が……話す言葉も途切れがち、胸がいっぱいでいっぱいで……。遠くの坂に四匹の犬がいたが痩せ細って動くことも出来ない状態だった。

 

大船渡教会に着いたのが9時40分、駐車場は一杯で、女の人が沢山いて、その人たちは無料の物資を貰いに来ていた人達であるという事が分かった。食品は一人、三個までと張り紙がしてあるにも関わらず、袋に詰め込んでいる人を見て、私の様に欲な人は何処にでもいるんだな、それにしても独り占めはよくないよ。注意しようと思ったがやめて、牧師に、こんな人がいたと言うと、その人は毎日来るとのことであった。明日配布する物資を並べたり、りんごを三個ずつ袋詰めにしていたら、三人物資を貰いに来た。「今日はもう終わりました。明日また十時から配布しますから来てくださいね。」と言うと、牧師さんは「いいですよ、お入りください」と言われた。90歳のお婆さんは、言われた。「70年間貯めてきた物のすべてを一瞬に無くしました。56歳の息子は位牌を取りに行って津波に巻き込まれ一ヶ月後に見つかりました。思い出すと辛いです。夜も眠られません。」奈ちゃんは「私と同じ年です、可愛そうに…」二人とも絶句です。どんな言葉をかけていいのか、兎に角、袋に沢山詰めてあげました。

その時、丸の内教会から沢山の物資が届けられた。N姉は、教会に寝泊りする人の為に、韓国から送られたあさりの佃煮を使って、あさりごはんと青森から送られたりんごを使ってジャムを作ってあげた。

 

夕方、教会を後にして陸前高田に行った。壊滅状態。船は道路に乗り上げ、家々は傾き、車はぺちゃんこ、兎に角、壊滅。気仙沼もすごい被害、未だに水が引かず、泥水の中にいろんな物が……立派な市役所、病院もがらんどう、誰一人いず。神様、何故、神様は何を言われようとなさっておられるのですか、神様、何故、神様……

 

幸いな事に私はスーパーの近くに住んでいて夜8時近くに行くと刺身やお寿司などが半額で買える。正札で買ったつもりで、その半額をプールしておいて、今までにも募金に使ってきた。

 

【人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい。あなたがたの父が憐れみ深いようにあなたがたも憐れみ深い者となりなさい。】

 

私はスワロフスキーが大好きで120個ほど集めている。金額にして200万円ほどであろうか。でも今回の津波で服も靴も鞄も欲しいとは思わなくなった。自分の命だっていつかは消え去る。何が一番大切なのか。答えはすぐに出た。イエス様しかなかった。東日本の人達が一日も早く復興するために祈る事と、義援金に励む事が私の務めだと思った。

 

【受けるよりは与えるほうが幸いである。使徒言行録20-35】

 

私は三浦綾子さんが大好きである。今から1数年前、旭川の三浦宅の前で写真を撮っていたら、車が来た。「ここは三浦綾子先生のお宅ですか」と聞いた。「そうですよ。何処から来られたのですか。」「三重県から来たのです、綾子さんに一目会いたいのですが病気だし、迷惑をかけるといけませんので、家の前で写真を撮って帰るところです」と言うと「会わせてあげましょう」と言ってくださり、一緒に写真も撮ることが出来た。本も三冊くださった。相手の事を考えずに会いたい一心で強引に尋ねて行ったのなら会うことができなかったであろう。

三浦綾子さんは、すばらしい本を書いて多くの人を慰め、キリスト教へと導いてきたにもかかわらず、いくつもの病気をし17年間寝たっきり。最愛の恋人も失った。しかし、神様に、ただの一度も愚痴をこぼさなかった。のみならず、「私は神様に贔屓されている。」と。ガーンと頭を叩かれた気がした。よくよく考えてみると私も神様に贔屓されているのでは、とそう思うようになってきた。

 

先の役員選挙の時、初めて自分に投票した。自らに○をするべきだと思った。イエス様を十字架につけて、神様に罪を許して頂いたのだから、永遠の命を頂いたのだから、何をしてお返しするべきなのかを思った時、自分に出来ることはさせて頂こうとおもったため、自分に投票したのだ。

敬老愛餐会やイースター愛餐会の司会も、看板を書くのも正直嫌だなあと思う。でも、一生懸命に神様の役にたとうとしているこの気持ちは神様が知っていてくださる。人に何を言われようと神様がすべてご存知であるのだ。なんて大きな慰めであろうか。

これからも出来る事はしていかないとと思う。神様に祈り求めていくと何とかできる気がする。

皆さん、鈴木牧師を中心に、この地域になくてはならない尾鷲教会として皆で力を合わせていきませんかと。

 

【愛によって互いに仕えなさい。ガラテア5-13】

 

私にはインマヌエルの神様がおられる。私はクリスチャンになって、唯の一度も後悔したことはない。

いろいろと祈りはあるが、今、一番力を入れているのは、息子にふさわしい配偶者を与えてください。早く孫を抱かせてください。ということである。 

 

【貧しい人は食べて満ち足り主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。詩篇22-27】

 

私には弟がいるが、本当に仲がよいので、単純な私は、色々な事を相談するが、的確なアドバイスがもらえるので心強い。弟は、「姉ちゃんのような考えは、キリストを信じている人でないと出来ない」と言う。

家族でいがみ合っている人がいるが、家族は仲がいいのに限る。クリスチャン家族は、相手の事を考え許し合い労わり合う事ができるからいい。

 

【互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ】

 

私は、インマヌエルの主がいつもいてくださるという確信をもって、これからも信仰の道を歩み続けて行こうと思う。

皆様これからも、単純な私ですがよろしくお願い致します。

(祈り)

神様、今日、奨励させて頂きました。神様のお役に立てたかどうか分かりませんが、あなた様が、皆様の心に小さな小さな種を蒔いてくださった事と信じます。尾鷲教会の歩みを祝福してください。日々平和でありますように。東日本の人たちが一日も早く笑顔を取り戻し、復興できますように。あなたは全能の神です。尊い御名をあがめ、すべてを、御手にお委ね致します。アーメン。   


マルコによる福音書6章20節

2011年06月07日 | み言葉の輝き☆

「なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、

彼を怖れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、

なお喜んで耳を傾けていたからである」

自分の体面のために、正しい聖なる人だとわかっていても、ヘロデはヨハネの命を奪ってしまいました。

このヘロデの罪は、ヘロデだけのものでしょうか…。