「俺が」名乗りなく10年
この10年間、モンゴルから帰化した旭天鵬を除き、日本人力士は賜杯から
遠ざかっている。白鵬・朝青龍らモンゴル勢を中心に、土俵の主役は外国製が
独占してきた。日本人力士にも賜杯を目前にしたチャンスは何度かあった。
10年九州場所では、豊ノ島が14勝を挙げて白鵬との優勝決定戦に進み、旭天鵬が
優勝した12年夏場所では栃煌山が決定戦で涙をのんだ。そして何よりも稀勢の里で。
この場所、終盤戦で後続に2差をつけて一時は独走態勢を築き、翌年夏場所も初日から
13連勝しながら、ともに最後に失速してしまった。日本人力士も15日に間、集中力を
持続することができるかに悲願成就はかかっている。現在、協会に所属する631人の
全力士のうち、外国出身者が占めるのは38人だけ。初場所は10日、東京・両国国技館で
初日を迎える。日本人力士の活躍を心より期待をしてます。