我慢することのない一生を送れる人など、たぶん存在しないはずですよね。
人として生まれてきた以上、あらゆる場面で我慢を強いられることはあります。
我慢の限界を超え、命を落とす人も多い世の中です。
我慢は決していいものではないですね。
でも、我慢して乗り越えなければ、どうしても先に進めないこともあります。
そこで、必要な我慢強さを身に着けていれば、それが乗り越える力に変換できるのかもしれない、と私は考えています。
私は昭和時代に学生だった年代です。
あの頃は現代の学生に比べると、何から何まで不便なことは多く、教師からの体罰も日常的に目にしていた時代です。
いたずらっ子の男子などは、男の先生からかなり強めにポカリと頭を叩かれたりしてました。
暑い時期の体育の授業など、途中で喉が渇いても水を飲むのは禁止でした。たとえ喉が渇いても、ここは我慢しなければいけないんだ、と皆一様に思っていたのです。(今考えると、怖いことですね(-_-;))
高校までは公立だったからか、修学旅行の宿泊先では大部屋に雑魚寝のような状態でした。
中学時代は校則がすごく厳しかったです。女子は肩にかかったら髪は束ねなければならず、前髪も眉のところまで、といったように髪型から服装までかなり細かく、少しでも違反していると注意を受けました。
私は制約を受けることがなにより苦手なので、学生時代に我慢を強いられストレスを受けたことは数々浮かびます。
今の時代の学生は、教材も豊富で学校環境も快適で、なにかと保護され至れり尽くせりで、いいなあ~、と羨ましく思うことがよくあります。(もちろん、今の時代には今の時代ならではの、問題点もあるのでしょうけど)
でも、こんなコロナ禍にあり、なにかと思うように動けない我慢生活を強いられたとき、過去数々の我慢体験が、巡り巡って力になっているような感覚を覚えています。
私は長年の介護生活を終えた直後に、コロナ自粛生活に入りました。
両親の介護をしていた頃の我慢に比べれは、コロナ自粛の我慢はほんの小さなものに過ぎないように私には感じられます。
たぶん、コロナ前の生活が、自由で快適なものであったなら、その対比で今はもっと辛く感じられたかもしれないな、と思います。
我慢なんて、しなくていいなら絶対にしたくないけれど、しなければならない我慢なら、そのときしておいてもいいのかも、と思います。
今は辛いかもしれないけれど、その我慢経験は、
これから先の人生を生きやすくする力になると思うので*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*