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a green hand

物置の住人と化したhus...

退職して8ヶ月、原発と同じ時間が流れた。
退職前からの夫の課題は物置の片付け、それがずっと今だに続いている。

娘や息子が置いて行ったり、送ってよこす不用な物が多くなり、我が家の物置
は、物置の機能を果たすどころか、不用品置き場である。

その物置も最近になり、夫が足繁く通うようになってきた。

理由は、段々と先が見えてきて心の中も整理されてきたのではないかと未熟者の妻は
夫の所作を見ている。

もっぱら、娘が帰ってきたり、息子が帰ってくると物置の品物についての確かめが
繰り返しなされていた。

「これは捨てていいのか?」「欲しいものはどれとどれ」ほとんどは要らないもの
ばかり。
大昔から変わりなく子どもの不始末を始末する任を自ずとになってしまった夫である。

妻は未熟者ゆえ仕事をするだけで子どもの生活には目をつぶり、子ども部屋へも恐ろしく
て足を踏み入れないという怠けぶり。(その頃も怠けではなく臆病者?)

夫が押入れから「お吸い物」入れの缶を見つけ、開くと、まさしく中にはお吸い物の殻、
これには相当参り、私は病気寸前。

それに娘のボーイフレンドが「子どもが二人とも不良でお母さんが可哀想だね」と言ったと
聞かされた折りには、自分が情けないやら、悲しいやら・・。
優しい子だったな~と一度も話したこともない娘のボーイフレンドを
今頃になって思ったりしている。

とにかく、娘や息子が選ぶお相手は優しいのだ。優しさに憧れていたか?

さて、話題があらぬ方へと展開してしまった。

そんなわけで、夫はいつまでたっても後始末係から脱しきれないでいる。

物置にあるダイニングテーブルの上を片付け、椅子を置き、灰皿を置き、窓辺には
娘の結婚式の記念の品のユラユラ空気で動く可愛い花が揺れている。

捨てればいいのにと思うのだが・・。
捨てられない未練があるのだ、人との関係とはそういうものなのかもしれない。

考えてみれば、要らないものを捨てる勇気は案外大きなエネルギーが要る。
だから皆、捨てられなくて物置に入れ込む。

自分では捨てたくないのだ。

今まであったものは、無かったと思えない。
誰かが知らないうちに捨ててくれれば幸せで自分では捨てたくない。

これでは、逃げてるな~と自分を深く反省、しかし、反省しても何も変わらない私。

物置に足繁く通う夫には、物に対する愛着はない。
物も買わない。所持品も少ない。

今、夫は終わりのない物置片付けを目指している。
暇つぶしだという。

でも、私は、早く、物置が物置の機能を果たせるような場所にして欲しいのだ。

「それは物置にある」「それも物置のあの場所に」
物置は、要らないものの溜まり場ではなく、楽しい場所になってほしいのだ。

ものを捜す必要のない生活になったら、さぞかし楽だろうなぁ・・・と。

今日の私は、今までで一番未熟者の記かもしれない。

夫の特技である、きちんと整理された頭で、使い勝手の良い物置はそのうち必ずや実現すると
思っている。

夫が時々私の部屋に来て、「あんたの頭の中のような部屋だ」とつぶやかれることがある。
きれいにしないとと刺激になる。

これが、逆だったら、最悪である。
片付け上手で整理好きな夫で良かった!
それにしても、時間がかかりすぎはしないだろうか・・。

物置という物に愛着を感じ始めたのかもしれないなぁ。
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