先週、休んでしまったのでどうしてもという思いが強い。
いつものように学食でランチ、Mちゃんが映画を観るというので
私の観たい映画を言うと、その映画も迷っていたというので
「天のしずく」を一緒に観ること決まった。
久しぶりの仲間6人でのランチであったが、早々に切り上げそれでも
30分は遅れて入館というありさま。
辰巳邸のお庭の花々が異常にきれいに咲いていたところからの参加である。
辰巳芳子が語る、震災後の花たちには何かが変だということがわかると・・。
2011年の夏の庭である。
鎌倉にあるお住まいだが、福島から遠く離れたその庭の花たちにも
わかるんだと・・。
うちのバラたちもその年は異常にたくさんの花をつけた。
クレマチスもきれい過ぎた。
きれいに咲く花々の翌年は私もある意味怖い。
その花が枯れたり弱ったりするからだ。
霜の降りる前のサルビアの燃えるような赤の怖さだ。
その翌年、バラが1本、大好きなクレマチスのモンタナが姿を消した。
さて、ドキュメントで流れる「天のしずく」だが、しずくとは辰巳さんの
つゆとスープのことであると思う。もしかしたらもっと大きなもの
天の恵みかもしれない。
辰巳さんの著書で心に残っている言葉がある。
「人が生を受け、いのちを全うするまで、特に終を安らかにゆかしめる一助
となるのは、おつゆものと、スープである・・」
辰巳さんは言語障害を伴い半身不随で8年に及ぶ病苦の父親のために
スープを作り続けた。嚥下困難がスープと結びついたという。
命が尽きるまで点滴で繋がれる命、口から一切のものを入れなくても
いきていられるという延命に、疑問も持つこともなく一つの命が終わっていく。
それが敬虔であるはずの人間への最後に為す術であることに
私も疑問をもっている。
その後、「旬を味わう」ーいのちを養う家庭料理ー
「手しおにかけた私の料理」の2冊を求めたが、すっかり読んだわけではない。
しかし、一行にでも感慨深い思いが読み取れたりする辰巳芳子さんの本は
実用より理想の本として私のそばに存在する。
が、昨日の映像のなかで、私がつくる「心臓焼き」という卵焼きも
「ポタージュリエ」も流れていたのはうれしかった。
ほとんど作らない辰巳芳子さんのレシピの二つも作ったことがある
のはとてもうれしかった。
時々、眺めては作ってみたくなる料理の究極の心の師である著者である。
ゆっくりと話す辰巳さんの一言一言は深い。
言葉で感動を綴れるうちは簡単である。が、ジワジワと、とぎれとぎれに迫る
感動を一度に表現することはとても難しい。
これが、昨日のドキュメント映画の感想である。
「教育で最も大切なことは、「なに」を教えるかではなく、「なぜか」
を教えることだと思う。
フー・ツォン
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