この雨の音にさえ恐怖を抱きながら過ごしている人がたくさんいるんだと思うと心が痛む。
息子が休みということなので家に来るのかなと思っていると家で居場所作り?
ぜひぜひ居場所を見つけ作って欲しいと願う。
うちは、夫の居場所は周りが作ってくれたように振り返る。
周りとは母や私、私の親戚である。
気遣いで子供に大変良い影響を与えたこともあるが、そんな風に育った子が気遣い無しの人を嫌うのも自然なことだ。
気遣いできない人を受け入れるようになるには「人生」という膨大な時間を喰わないとダメなのかもしれない。
息子は子供の頃に婿になりたいと言って私を唖然とさせたことがある。
テレビの前に陣取ってチャンネル権をしっかり握りお酒を呑んで周りに気遣いされる夫の姿にある種の憧れを持ったのだろう。
私はそういう夫と争いながら生きてきた未熟者である。
しかし、自分の居場所というものは自分で作っていくものであるな~とつくづく思う。
大昔の男は、大黒柱というだけで威張っていられた。
今は大黒柱などという幻想は無くなってしまった。
日本男児はもう少し頑張って自分の心地よい場所を自分で作らんといかん。
自分の気持ちの落ち着く場所を逃げずに我が家に作らないと…。
逃げないこと、あきらめないこと、誰かの歌にあったな~。
負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じ抜くこと 検索してみたら「それが大事」という歌詞にあった。
私も幸せを求めて随分若い頃から戦ってきたものだとしみじみする。
自分が闘うのはいいが、我が子や大切な人が自分の苦しみの道を歩かないといけないと思うと、それは辛すぎる。
親でいることは辛いものだとまたしみじみし、長生きしている母に同情してしまう。
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何も私だけが苦しいのではなく生きることそのものは誰でもが楽ではないということだ。
せめて、他人の目に不満を持たない幸せな人と映るだけでもいい事にしよう。
来週初めは夫と一緒に絵を観たりオーケストラを聴いたりの芸術の秋スタートである。
上京し、娘と会い、ランチするのを楽しみにしている私たちである。