Yちゃんは町の魚屋さんの末っ子だ。
私の家はダムのある山、Yちゃんは町に住む魚屋の息子である。
子どもの足で町まで歩いたら40分ぐらいかかる。
サラリーマンである父のお給料日は15日と明確に記憶している。
その頃にサラリーマンは多くなかった。
働く場所がない。
専業農家やお店、機織り工場で働く女性が多かった。
母親が工場で働く間に織機で怪我をする子がいて保育所設立なった由来がある。
それほど機織りの盛んな町であった。
我が家は母がいわゆる専業主婦であり、3人の娘の遊び相手をしていた。
母親のいる我が家によその子ども等が集まり母がその相手をしていた。
今でも母を懐かしみ近況を心配してくれる同級生は多い。
今日、顔を出してくれたYちゃんも「おばちゃん」と一緒に昔を語っていた。
1年生の時みんなでMちゃんのうちに遊びに行ったっけと言うが、私が皆と遊んでる記憶はない。きっと同級生は母と遊んでいたのだ。
ただ小さい頃の記憶を辿ると、覚えたての自転車で町に行った事がある。
Yちゃんが町の知らないところを自転車であちこち案内してくれた。
その道沿いに初恋の人の家があったことや10年後に社宅から出て我が家ができる場所近くまで行った事など微塵も想像できない子ども時代の自転車乗りである。
あの日、町からYちゃんが山と川にある我が家まで自転車で迎えに来てくれたのだろうか。
それとも私が自転車で1人で町に向かったのだろうか。
謎である。
当時我が家は魚屋さんの通い帳を使っていたのでYちゃんとの接点はお得意先の顔見知りの女の子。
親と時々行く町の魚屋は生臭く寒く積極的に行きたい場所ではなかった。
今でも魚の生臭さがとても苦手である。
Yちゃんもいつしか牛乳屋さんになっていた。
1週間に1度だけ我が家にずっと牛乳を配達してくれている。
夫は牛乳など店で買えばずっと安いのにと不満そうだったが今では諦めた。w
今では牛乳屋さんに箱買いで
お豆腐なども注文している。
今日は、お豆腐の配達で顔を見せたのだ。
豆腐など店で買えばいいのにと言いたそうな夫だが…。w