いつものランチをパスし、映画館近くの公園でおにぎりをほお張ってからの映画鑑賞である。
初冬といっても気持ちのいい穏やかな日であり、我々4人のその姿はそう惨めなものではなかったと自負している。
アニメ嫌いの私とT、なんでも好きなM、可哀想なものは見たくないという心優しい一人娘の父親であるS。
「火垂るの墓」・・あれは可哀想すぎて二度とみたくないという。
「おもひでぽろぽろ」も可愛そうだと思うから見ないという・・。
火垂るの墓ですっかりこの監督のは・・という思いがあるSさんである。
が、誘ってみた。
アニメ嫌いな私が、ハルのお供ではなく自主的に見ようと思ったのには理由がある。
試写会に行ったRさんとYちゃんとそのあーちゃん、大変良かった、ぜひ見て欲しいといっていたのだ・・。
3人で試写会に行くといったその時に、全く心が動かなかった「かぐや姫物語」であった。
息子も休みなので一緒に見ようと家族に誘われていたが、気乗りせず・・。
一枚余ってるからと言われても誘われたらどうしようぐらいな私であった。
その私が、見ようと思ったのは、赤旗日曜版に載っていた監督高畑勲の人物像である。
更に、「おもひでぽろぽろ」を録画し、私にアニメが見られるかどうかを試した。
自分探しのこの映画は、つらつらとお話が続く・・。
5年生の自分が時々でてくる、これがポロポロの意味か・・涙じゃないんだと見ているうちに思い始めた。
5年生という学年も魅力であった。
孫の二人が5年生であるからだ。
5.6年というと人生の中でちょっと味わい深い年齢である。
思春期以前の物事に「思う」より、「真っ直ぐに感じる」時期ではないかと思うのだ。
それまでに蒔かれた種が動き出す時期である。
それも大きく動くのではなく、その種が体をゆすり周りの土を動かす程度なのかもしれない。
その見えない動きであるが、その動きがやがて大きく動き出すように思えてならない。
13歳は大事である。
というわけで「おもひでぽろぽろ」の、そこここに印象深い言葉の羅列に、見たい意欲が高まった。
一人で見ても良かったが、Tに話すと見てみるという。
Tは私が誘ったあとに新聞の評を見たらしい。
それで私よりもみたい気十分になっていた。
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