人それぞれというがそれぞれはどこかで協調し、自分の自由度が最大限発揮できるところで妥協して生きていると思う。
それぞれの誰かが自分だけ我慢をしているという不満が続くと大変な事になる。
我が家のリーダーは、力がなく動かないで采配を発揮している私かもしれない。
というか調整役と言うと聞こえがいい。
夫から「ガイムダイジン」と言われ「外面がいい」と言われ、時に怒りを露わにされたりしているカゲのリーダーであると自認している。
リーダーは決断をすることが多い。
私の場合において母の意見を聞き、夫に伺い、夫は大抵私に賛成しない厄介者であるが、リーダーである私の言い方次第である。w
常識を1番心得ている夫であるので私には必要な夫の意見であり、決断の基準値が高い。
金銭に関しての決断は夫であり、こころに関しての決断は殆ど夫の意見を聞かず母と結託して決行するのが常である。
リーダーは孤独であるが、そんなことはない。
たった3人の中でのリーダーであり、私の中で、これは違うのではと思わない限りどうでもいい部類だから感知しない。
リーダーの資質、ケチでは務まらない。
私利私欲でも務まらない。
私情が強すぎても務まらない。
自分を知り、相手をよく知ることも判断の材料となる。
高い理想と夢を持てればより良いリーダーとなれるかもしれない。
とすると私は?
リーダーとして相応しいだろうか。
謎である。
毎朝食のお供に、フルーツヨーグルトを作る。
3個の小さな器にバナナ りんご 干し柿 柚子の砂糖漬け イチゴ 最後に手作りソースをタラっと落とす。
この季節の小さな器だがそれぞれ平等のフルーツの量ではない。
母の好みの干し柿を母には多く、柚子の砂糖漬けを夫には少なく、最後の「タラっと」落とす甘いソースは食パンにたくさんの種類の甘いジャムやらバターを使う夫には「タラ」だけにしたり無くしたりと加減している。
さじ加減という言葉があるが、これは料理だけにではなく大事だと思う。
さじ加減=こころ加減 ?
作る側はどうしても自分のものは余りものの器になりがちだが、心を入れ替えた。
栄養が足りていないとリーダーは務まらないからだ。
貧血の再発は困るので自分の食べるものをまず充実させる事にした。
とはいっても意識しないとそうはならないのが厄介なことである。