「ベト7捕物帖」へのyasunobuさんのコメントへのレスです。
<全部をD線で弾く人はいないと僕は思いますよ……(中略)……逆に
開放弦を使うということで、イ長調の意味づけを強くするという効果があるのでは?>
▲【cisーー|>h<cis>h|>aーー|ーーa|<dー】
A:2 1 2 1 0 0 3
d|>cis<d<e|eー>h
3 2 3 4 4 1
ということですね? しかし、オケに所属なさってるyasunobuさんなら、
そのような弾きかたはしない、ということは、vnパートのかたに訊くまでもなく
おわかりだと思うのですが、いかがでしょう? また、私は
「全部をD線で弾く」とは書いてません。「(少なくとも)【】内はD線」と書いたはずです。
【cisーー|>h<cis>h|>aーー|ーーa|<dー】
D:3 2 3 2 1 1 4
d|>cis<d<e|eー>h
→A:3 2 3 4 4 1
<解放弦を使いながらD線のAを押さえて、それを<空ヴィブラート>する
という方法を採って違和感を緩和することも出来ます>
▲それではまったく「違和感は緩和できない」と思うのですが、いかがでしょう?
それに、チャイコフスキーの時代にすでに「ヴィヴィラート」はかけられてたのでしょうか?
<チャイコの場合でも、休止符つきと5連符はまったく別のものですよ>
▲私は必ずしもそうとは思ってません。たしかに、「完全に同じ」ではありません。
「休止符つきと5連符は別もの」には違いないでしょう。しかし、
「まったく違う」とまでは思いません。いみじくも、
「白鳥湖」#13-5の「タタ○・タタタ」は「警告」である、
とyasunobuさんがおっしゃったように、
私は「2*3」「3*2」のリズムは、チャ経にかぎらず、
(間に休符が入るがはいるまいが……休符の長さpをp→0に無限に近づければ、
ないのといっしょ)「なんらかの警鐘」を発してる、と感じてます。
サン=サーンスやサラサーテの「ハバネラ」についてはそうとは思いませんが、
こと真っ当な作曲家ビゼーになれば話は別です。「カルメン」中の「ハバネラ」は、
節はイラディエルのものとは「知らなかった」ビゼーが「引用」したものだそうですが、
♪(ラー>♭ラー|>)ソソソ・>♯ファー>Nファー♪は「3*2」のリズムですね。
この箇所の「歌詞」:ラムール・エ・チュン・ウワソ・ルベル……の拙大意は、
色恋沙汰なんてぇのは、手をやかせる鳥みたいなもんさ。
馴致なんざぁ、誰にもできやしないよ。
(中略)あたいがもしあんたに惚れた日には、自分の身に気ぃつけるんだね!
というようなものです。これは明らかに「警告歌」です。そもそも、
「ハバネラ」とはキューバのハバナで踊られてたものだそうですね。キューバは、
コロンボによって支配を受けて以来、スペイン王国の圧制に苦しめられてたところです。
スペインはさぞやキューバの民衆の恨みをかってたことでしょう。
(俺たちをこれだけ蹂躙するからにはそれなりの覚悟ができてるんだろうな、スペ野郎)
という警告踊りだったかもしれません。それを「異国情緒」な踊りとして
本国で流行らしてしまうのですから、スペインという国は大物ですね。
長い反乱、独立運動、戦闘の末、キューバは「スペインにささやかな仕返し」をして、
「スペインからは」独立してしまいます。まぁ、米国の介入で独立できたわけなので、
けっきょく、支配者がハイエナからハゲタカに代わっただけだったので、
独立は「急場」しのぎ、米国の支配下になっただけでしたが、のちに
チェ・ゲバラ焼き肉のタレと文明堂のカストロによってお膳がとっかえられます。
ともあれ、チャイコフスキーはビゼーの「カルメン」にこっぴどく感化されました。
「2*3」「3*2」は、チャ経には茶飯事に現れますが、
その集大成「悲愴交」の前3章で顕著です。が、終章には現れません。
警告3度→処罰、という意図、に解してます。
<例えば、「第八交響曲」の冒頭で、主要動機が何度も演奏されます。
ターータ・タータタ>
▲【♭レーーー・ーーー>ド・<♭ミーーー・ーー>レ>♭レ】(|>ドーーー)
のことですね。私はこの「元ネタ」は、ベートー神の
「5番交(ハ長)」終章のシテツレ主題、
♪【ドーーー・ーー>ソー|<ミーーー・ーー>レン>ド】
(|レーーー・ーーーー|ーーーー・ーーーー|)
【レーーー・ーー>ソー|<ファーーー・ーー>ミン>レ】
(|レー<ミー・ーーーー|ーーーー・ーーー|)♪
だと思ってます。ちなみに、これは、
その姉妹作「6番交(ヘ長)」終章のシテ主題の元となり、
終い近くにソット・ヴォーチェで「ネタあかし」される、
♪【【ドーー・>ソー<ミ|>レーー・ーーー】】|
【【レーー>ソー<ファ|>ミーー・ーーー】】♪
だということは、すでに広く知れわたってることですね。
それはともかく、その「ベト経」のさらに「元ネタ」は、
モーツァル神の最後の交の緩徐章(「ハ長交のヘ長章」)のシテ主題、
♪【ドーー>ソ・<ミーーー・ーー>レ>ド】|>シッ○○○<ファッ○○○・○○○○|
<【レーー>ソ・<ファーーー・ーー>ミ>レ】|>ドッ○○○<ソッ○○○・○○○○♪
にあるのだと考えます。つまり、
モツ神&ベト神:ハ長&ヘ長→ブル神:ハ短&ヘ音開始
という「継承」である、と。
いずれにしても、それでは、
・「ブルックナー律動」にはどのような意味合いがあるのでしょうか?
ところで、肝腎の「ベト7」ですが、その主章シテ主題(主主題)は、
「歓喜」を表してるのだそうですが、実際、
♪ソ>ファ>ミ<ファ、>【ラ<シ<『ドドド<レ<ミミ>レ』】♪は、
♪ミ<ファ<ソソ>ファ>ミ>レ、『ド<レ<ミミ>レレ』♪につながります。
いっぽうで、この「ベト7」のシテ主題は、
なにか「なつかしさ」のようなものを思い出させてくれます。
シューベルトでもシューベルツでもないのですが、北山修医師の、
「プラタナスの彼はぁ~知るぅ~~木の陰でぇ~~~」という歌詞にヘンデルが節をつけた、
♪ソーーー|ーーーーーー|ーー>ミー>レン>ド|
ドーーーーー|ドー>シー>ラン>ソ|ソーーーーー|
<【ラー<シー<ド<レ<ミ|>レーー】>ド<レー♪
です。すぐこういうふうに連想してしまうのは、私のわるい「癖ルくせス」です。
<全部をD線で弾く人はいないと僕は思いますよ……(中略)……逆に
開放弦を使うということで、イ長調の意味づけを強くするという効果があるのでは?>
▲【cisーー|>h<cis>h|>aーー|ーーa|<dー】
A:2 1 2 1 0 0 3
d|>cis<d<e|eー>h
3 2 3 4 4 1
ということですね? しかし、オケに所属なさってるyasunobuさんなら、
そのような弾きかたはしない、ということは、vnパートのかたに訊くまでもなく
おわかりだと思うのですが、いかがでしょう? また、私は
「全部をD線で弾く」とは書いてません。「(少なくとも)【】内はD線」と書いたはずです。
【cisーー|>h<cis>h|>aーー|ーーa|<dー】
D:3 2 3 2 1 1 4
d|>cis<d<e|eー>h
→A:3 2 3 4 4 1
<解放弦を使いながらD線のAを押さえて、それを<空ヴィブラート>する
という方法を採って違和感を緩和することも出来ます>
▲それではまったく「違和感は緩和できない」と思うのですが、いかがでしょう?
それに、チャイコフスキーの時代にすでに「ヴィヴィラート」はかけられてたのでしょうか?
<チャイコの場合でも、休止符つきと5連符はまったく別のものですよ>
▲私は必ずしもそうとは思ってません。たしかに、「完全に同じ」ではありません。
「休止符つきと5連符は別もの」には違いないでしょう。しかし、
「まったく違う」とまでは思いません。いみじくも、
「白鳥湖」#13-5の「タタ○・タタタ」は「警告」である、
とyasunobuさんがおっしゃったように、
私は「2*3」「3*2」のリズムは、チャ経にかぎらず、
(間に休符が入るがはいるまいが……休符の長さpをp→0に無限に近づければ、
ないのといっしょ)「なんらかの警鐘」を発してる、と感じてます。
サン=サーンスやサラサーテの「ハバネラ」についてはそうとは思いませんが、
こと真っ当な作曲家ビゼーになれば話は別です。「カルメン」中の「ハバネラ」は、
節はイラディエルのものとは「知らなかった」ビゼーが「引用」したものだそうですが、
♪(ラー>♭ラー|>)ソソソ・>♯ファー>Nファー♪は「3*2」のリズムですね。
この箇所の「歌詞」:ラムール・エ・チュン・ウワソ・ルベル……の拙大意は、
色恋沙汰なんてぇのは、手をやかせる鳥みたいなもんさ。
馴致なんざぁ、誰にもできやしないよ。
(中略)あたいがもしあんたに惚れた日には、自分の身に気ぃつけるんだね!
というようなものです。これは明らかに「警告歌」です。そもそも、
「ハバネラ」とはキューバのハバナで踊られてたものだそうですね。キューバは、
コロンボによって支配を受けて以来、スペイン王国の圧制に苦しめられてたところです。
スペインはさぞやキューバの民衆の恨みをかってたことでしょう。
(俺たちをこれだけ蹂躙するからにはそれなりの覚悟ができてるんだろうな、スペ野郎)
という警告踊りだったかもしれません。それを「異国情緒」な踊りとして
本国で流行らしてしまうのですから、スペインという国は大物ですね。
長い反乱、独立運動、戦闘の末、キューバは「スペインにささやかな仕返し」をして、
「スペインからは」独立してしまいます。まぁ、米国の介入で独立できたわけなので、
けっきょく、支配者がハイエナからハゲタカに代わっただけだったので、
独立は「急場」しのぎ、米国の支配下になっただけでしたが、のちに
チェ・ゲバラ焼き肉のタレと文明堂のカストロによってお膳がとっかえられます。
ともあれ、チャイコフスキーはビゼーの「カルメン」にこっぴどく感化されました。
「2*3」「3*2」は、チャ経には茶飯事に現れますが、
その集大成「悲愴交」の前3章で顕著です。が、終章には現れません。
警告3度→処罰、という意図、に解してます。
<例えば、「第八交響曲」の冒頭で、主要動機が何度も演奏されます。
ターータ・タータタ>
▲【♭レーーー・ーーー>ド・<♭ミーーー・ーー>レ>♭レ】(|>ドーーー)
のことですね。私はこの「元ネタ」は、ベートー神の
「5番交(ハ長)」終章のシテツレ主題、
♪【ドーーー・ーー>ソー|<ミーーー・ーー>レン>ド】
(|レーーー・ーーーー|ーーーー・ーーーー|)
【レーーー・ーー>ソー|<ファーーー・ーー>ミン>レ】
(|レー<ミー・ーーーー|ーーーー・ーーー|)♪
だと思ってます。ちなみに、これは、
その姉妹作「6番交(ヘ長)」終章のシテ主題の元となり、
終い近くにソット・ヴォーチェで「ネタあかし」される、
♪【【ドーー・>ソー<ミ|>レーー・ーーー】】|
【【レーー>ソー<ファ|>ミーー・ーーー】】♪
だということは、すでに広く知れわたってることですね。
それはともかく、その「ベト経」のさらに「元ネタ」は、
モーツァル神の最後の交の緩徐章(「ハ長交のヘ長章」)のシテ主題、
♪【ドーー>ソ・<ミーーー・ーー>レ>ド】|>シッ○○○<ファッ○○○・○○○○|
<【レーー>ソ・<ファーーー・ーー>ミ>レ】|>ドッ○○○<ソッ○○○・○○○○♪
にあるのだと考えます。つまり、
モツ神&ベト神:ハ長&ヘ長→ブル神:ハ短&ヘ音開始
という「継承」である、と。
いずれにしても、それでは、
・「ブルックナー律動」にはどのような意味合いがあるのでしょうか?
ところで、肝腎の「ベト7」ですが、その主章シテ主題(主主題)は、
「歓喜」を表してるのだそうですが、実際、
♪ソ>ファ>ミ<ファ、>【ラ<シ<『ドドド<レ<ミミ>レ』】♪は、
♪ミ<ファ<ソソ>ファ>ミ>レ、『ド<レ<ミミ>レレ』♪につながります。
いっぽうで、この「ベト7」のシテ主題は、
なにか「なつかしさ」のようなものを思い出させてくれます。
シューベルトでもシューベルツでもないのですが、北山修医師の、
「プラタナスの彼はぁ~知るぅ~~木の陰でぇ~~~」という歌詞にヘンデルが節をつけた、
♪ソーーー|ーーーーーー|ーー>ミー>レン>ド|
ドーーーーー|ドー>シー>ラン>ソ|ソーーーーー|
<【ラー<シー<ド<レ<ミ|>レーー】>ド<レー♪
です。すぐこういうふうに連想してしまうのは、私のわるい「癖ルくせス」です。
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