♪ラ(れ)ー・ーー・・<シー・ーシ(くぃ)│>ラ(えむ)♪
昨年の7月17日にヴィーンのシュテファン大聖堂に、
ガキの頃その聖歌隊で歌ってたこともあるミヒャエル・ハイドンの
「サーツブアク大司教スィークムント3世追悼レクィエム(ハ短調)」が流れた。
オーストリア国営放送(ORF)がそれを生中継した。そのニュースは
日本でも報道されたが、17日が土曜で翌朝に流れたので、
NHKの「おはニチ」は最近話題の土日担当森本健成アナだった。
ハプスブルグ家がローマ・カトリックだからといって
ヴァ・チカンの典礼に則ってことさら
森本アナに伝えさせたわけではけっしてない。ともあれ、
その演奏は7月4日に98歳で死んだ
Otto Habsburg(オットー・ハープスブーク、1912-2011)の
葬儀での鎮魂ミサのためのものだった。
関係諸侯やオーストリア"共和国"政府首脳陣など1000人ほどが
参列した盛大な葬儀だった。そして、
今日、2012年11月20日は、そのいわゆる
オットー・ハプスブルグの誕生から100年にあたる日である。
Habsburg家はもともとは現在のスイスの
バーセルとチューリヒの中間くらいに現存する
Habichtsburg(ハービッヒツブアク)
(Habicht/ハービッヒト=大鷹のburg/ブアク=城)
城主という、地方弱小貴族だった。この
Habichtsburgが音変化して
Habsburgとなった、とされてる。
「双頭の鷲」というより「相当の鷲鼻」という感じで、
「ローマ帝国」を引き継ぐために取って付けた話のような気もするが、
松本薫女史と狩野英孝の顔を瞬時には区別できない
拙脳なるワシごときには真偽のほどは判らない。
カエサルやオクタウィアヌスなどの「ローマ帝国」は東西に分裂し、
西ローマ帝国は800年にフランク王国のカール大帝によって襲われる。
962年には東フランク王国の、
今年が生誕1100年にあたるオットー大帝が戴冠した。
カールもしくはオットーの戴冠から「神聖ローマ帝国」が始まるとされてる。
いずれにせよ、
「ローマ帝国」はラテン系からゲルマン系に取って代わられたのである。
この「位」はやがてオットーの家系の断絶によって
ゲルマン諸国の間で選挙によって選ばれるようになった。
そうする中で有力諸侯の牽制のために選ばれたのが
弱小地方貴族ハプスブルグ家だったのである。ところが、
「醜いアヒル」「レイム・ダック」だと思われてたハプスブルクは、
あにはからんや、権謀術数の達人だった。
伊達にアゴを突きだし、下唇を肥大させてたのではない。
オーストリアやベーメンをちゃっかり手に入れ、
皇帝位も世襲にしてしまったのである。そして、
その皇帝位を餌にして政略結婚で領土を広げ、
ヨーロッパ随一の巨大帝国を築いた。フランドルを手に入れ、
スペインも手中に収めた。マリー=アントワネットを嫁がせて
サリカ法をなし崩しにしてフランスも乗っ取るはずだった。が、
フランス革命で目算が狂い、ナポレオンの台頭を許して1803年に
神聖ローマ帝国を終了させられた。さらに、
北から勢力をのばしてきた同じゲルマンのドイツ帝国に屈して
第一次世界大戦の敗戦国として1918年に
オーストリア=ハンガリア二重帝国まで解体された。
そうはいっても、
600年もの長きにわたって西欧を支配してきた家である。
統治することはなくなっても、経済的に君臨してるのである。
現在、六本木の国立新美術館で開催されてる
「リヒテンシュタイン公家コレクション」のリヒテンシュタイン公夫妻をはじめ、
ハプスブルク家の"家来"が恭しくオットーの葬儀に列席してたように、
リヒテンシュタインやスイス、ルクセンブルクなどの旧ハプスブルク領や
オーストリアの近隣諸国は、その財産管理運営を司る
銀行業で立国してるのである。
現在のユーロや欧州連合結成の絵を描いたのも、
オットー・ハプスブルグだったのである。
いわゆるマリア・テレジアでハプスブルグ家の男系は途絶えた。
その婿のフランツ1世はロートリンゲン公家の出なので、より正確には
オットー・ハプスブルクもオットー・ハプスブルク=ロートリンゲンというらしい。
ちなみに、
このロートリンゲン公家というのは、チャイコフスキーの最後のオペラ、
「イオランタ」の家なのである。それからまた、
今年が生誕600年にあたる"オルレアンの少女"こと
ジャンヌ・ダルクが生まれたドンレミもロレーヌ(ロートリンゲン)にある。
ともあれ、
数年来、欧州の財政不安からユーロ危機が言われてきたが、
ムーディーズ(日本のAVメイカーではない)が
ギリシャの格付けを"Caa1(CCC+)=格付け17位"から
"Ca(CC)=格付け20位"へと
一挙に3段階も引き下げたと発表したのは、
オットー・ハプスブルグの葬儀から1週間後の
2011年7月25日のことだった。
NYのムーディーズはいうまでもなくロックフェラー系である。
ハプスブルグ当主の死をとらえて一気に
ユーロ潰しにかかってきたのである。
昨年の7月17日にヴィーンのシュテファン大聖堂に、
ガキの頃その聖歌隊で歌ってたこともあるミヒャエル・ハイドンの
「サーツブアク大司教スィークムント3世追悼レクィエム(ハ短調)」が流れた。
オーストリア国営放送(ORF)がそれを生中継した。そのニュースは
日本でも報道されたが、17日が土曜で翌朝に流れたので、
NHKの「おはニチ」は最近話題の土日担当森本健成アナだった。
ハプスブルグ家がローマ・カトリックだからといって
ヴァ・チカンの典礼に則ってことさら
森本アナに伝えさせたわけではけっしてない。ともあれ、
その演奏は7月4日に98歳で死んだ
Otto Habsburg(オットー・ハープスブーク、1912-2011)の
葬儀での鎮魂ミサのためのものだった。
関係諸侯やオーストリア"共和国"政府首脳陣など1000人ほどが
参列した盛大な葬儀だった。そして、
今日、2012年11月20日は、そのいわゆる
オットー・ハプスブルグの誕生から100年にあたる日である。
Habsburg家はもともとは現在のスイスの
バーセルとチューリヒの中間くらいに現存する
Habichtsburg(ハービッヒツブアク)
(Habicht/ハービッヒト=大鷹のburg/ブアク=城)
城主という、地方弱小貴族だった。この
Habichtsburgが音変化して
Habsburgとなった、とされてる。
「双頭の鷲」というより「相当の鷲鼻」という感じで、
「ローマ帝国」を引き継ぐために取って付けた話のような気もするが、
松本薫女史と狩野英孝の顔を瞬時には区別できない
拙脳なるワシごときには真偽のほどは判らない。
カエサルやオクタウィアヌスなどの「ローマ帝国」は東西に分裂し、
西ローマ帝国は800年にフランク王国のカール大帝によって襲われる。
962年には東フランク王国の、
今年が生誕1100年にあたるオットー大帝が戴冠した。
カールもしくはオットーの戴冠から「神聖ローマ帝国」が始まるとされてる。
いずれにせよ、
「ローマ帝国」はラテン系からゲルマン系に取って代わられたのである。
この「位」はやがてオットーの家系の断絶によって
ゲルマン諸国の間で選挙によって選ばれるようになった。
そうする中で有力諸侯の牽制のために選ばれたのが
弱小地方貴族ハプスブルグ家だったのである。ところが、
「醜いアヒル」「レイム・ダック」だと思われてたハプスブルクは、
あにはからんや、権謀術数の達人だった。
伊達にアゴを突きだし、下唇を肥大させてたのではない。
オーストリアやベーメンをちゃっかり手に入れ、
皇帝位も世襲にしてしまったのである。そして、
その皇帝位を餌にして政略結婚で領土を広げ、
ヨーロッパ随一の巨大帝国を築いた。フランドルを手に入れ、
スペインも手中に収めた。マリー=アントワネットを嫁がせて
サリカ法をなし崩しにしてフランスも乗っ取るはずだった。が、
フランス革命で目算が狂い、ナポレオンの台頭を許して1803年に
神聖ローマ帝国を終了させられた。さらに、
北から勢力をのばしてきた同じゲルマンのドイツ帝国に屈して
第一次世界大戦の敗戦国として1918年に
オーストリア=ハンガリア二重帝国まで解体された。
そうはいっても、
600年もの長きにわたって西欧を支配してきた家である。
統治することはなくなっても、経済的に君臨してるのである。
現在、六本木の国立新美術館で開催されてる
「リヒテンシュタイン公家コレクション」のリヒテンシュタイン公夫妻をはじめ、
ハプスブルク家の"家来"が恭しくオットーの葬儀に列席してたように、
リヒテンシュタインやスイス、ルクセンブルクなどの旧ハプスブルク領や
オーストリアの近隣諸国は、その財産管理運営を司る
銀行業で立国してるのである。
現在のユーロや欧州連合結成の絵を描いたのも、
オットー・ハプスブルグだったのである。
いわゆるマリア・テレジアでハプスブルグ家の男系は途絶えた。
その婿のフランツ1世はロートリンゲン公家の出なので、より正確には
オットー・ハプスブルクもオットー・ハプスブルク=ロートリンゲンというらしい。
ちなみに、
このロートリンゲン公家というのは、チャイコフスキーの最後のオペラ、
「イオランタ」の家なのである。それからまた、
今年が生誕600年にあたる"オルレアンの少女"こと
ジャンヌ・ダルクが生まれたドンレミもロレーヌ(ロートリンゲン)にある。
ともあれ、
数年来、欧州の財政不安からユーロ危機が言われてきたが、
ムーディーズ(日本のAVメイカーではない)が
ギリシャの格付けを"Caa1(CCC+)=格付け17位"から
"Ca(CC)=格付け20位"へと
一挙に3段階も引き下げたと発表したのは、
オットー・ハプスブルグの葬儀から1週間後の
2011年7月25日のことだった。
NYのムーディーズはいうまでもなくロックフェラー系である。
ハプスブルグ当主の死をとらえて一気に
ユーロ潰しにかかってきたのである。
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